そ」に「(ママ)」の注記]う云つてあなたはそれで堪忍出來るのですか。」と私は母に喰つてかゝつたのを覺えてゐる。私は不愉快で不愉快で堪らなかつたのだつた。
 そこへその本人が歸つて來た。顏を見ると悄げかへつてゐる。そして泣いたあとらしく頬がよごれてゐた。私はそのしよぼしよぼした姿を見ると可哀さうには思つたが、なほさら不愉快が増した。
 私が問ふと弟は話し話しまた涙をためた。――きいてゐる中にふと私はその話に少し嘘があるのを感じた。勝手のいゝ胡麻化しがある樣に思つた。
 その弟は常からよく勝手のいゝ嘘を云つた。私はそれがいやで堪らなかつた。
 ――私はその氣持には純粹に嘘を忌むといふ氣持もあるにはあつたらうが、それよりももつと私に應へるのは弟に私の戲畫《カリカチユア》を見せられることであつた。
 包まず云ふが、私自身はこれでかなりの嘘[#「嘘」に「(ママ)」の注記]言家なのである。そして虚榮家の素質も充分持つてゐる。私は自分の卑しい所、醜い所、弱い所をかくすためによく嘘を云つた。
 私は自分のこの性格が忌々しくてならないのである。
 その思ひ出したくない急所に、弟の淺墓な嘘が強く觸れる。そこを殊更に醜く擴大した私自身のポンチ繪を見せつけられる樣な悔[#「悔」に「(ママ)」の注記]辱を感じる。
 私のその氣持にはそれが私の肉親であるといふことも大分手傳つてゐるのだと思ふ。――つまりポンチ繪と云ふよりも本當の私の姿だと思へるためではないかと思ふ。またもう一歩進めば――「勇さんは嘘つきだ。兄弟は爭へない。あの直ぐ上の兄さんも。」といふ風になつて、あまり明瞭ではなかつた私のその嫌な性格が、弟のそれではつきり世間の人にわかつてしまふといふ懸念が、或は働いてゐるのではなからうか。
 やはりこれが肉親の故でもあらうし、永く一緒に暮して來た故でもあらうが、第一は性格の相似から、私には弟の嘘が、その顏付や語調から、手にとる樣に――丁度私自身がその嘘を云つてゐる樣にわかる樣に思へるのである。そして事實は十中八九それの正鵠を證明してゐる。
 そんな譯で私は弟が物を云ふとその話の中途で「それは嘘だ。」と云ひ切つたりすることがある。――こんな無禮なことは弟だからと云つて許さるべきものではない。然し私は不愉快のあまり憎惡さへ募らせて、意地惡くそれを云ふのである。そして弟の話の腰を折つてしまふ。
 
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