た。そして屡々顏を出して呉れる外村と將來のことを話しては元氣になつた。
 來年の三月には五人の同人が卒業する筈だ。それに從つて編輯の模樣も變るだらうが、その劃策は熟して來てゐる。十五日に在京の同人が集つたとき十一月號には紙數に制限をつけない力作を持寄つて特別號を出さうかといふ話も出た。青空はぐん/\伸びてゆく、何者がそれを阻むことが出來よう。
 大阪へ歸つて點呼を受けた。一年振で軍人の云ふことにも變りが見える。が平常どんなところでもあらはに聞かなかつた言葉をあんなに露骨に云はれるとなにより先に全く變な氣になる。全く變な氣に。――明日頃は伏見へ淀野と清水を訪ねて行く積りだ。清水は今展覽會へ出す畫が繪具にかゝつてゐるので九月號に何か書く筈のところ書けなかつた。淀野も、作の大きいのと、一字一句の必然を追求する彼の鋭い創作態度が此度のものを十月號まで延してしまつた。久し振りで會ふ、樂しみだ。
 東京を立つとき心殘だつたのはこの編輯後記が書けてなかつたのと、先日飯島を見舞つたとき一度アイスクリームを持つて行くと約束してあつたことだ。然し飯島、十五日の夜はあんなに秋冷だつた。遂々來なかつた僕を、君はあの晩そんなにも待たなかつただらう。
 東京を立つ二三日前から私はさるすべり[#「さるすべり」に丸傍点]の花に驚かされてゐた。それが道中では至る所さるすべり[#「さるすべり」に丸傍点]と蓮の花だつた。この夏はさるすべり[#「さるすべり」に丸傍点]の美しさを知つたと云はうか。大阪は緑もなく花もない。つい疲れにまけて編輯後記をおくらせてしまつた。

       ○

 八月二日から第三種郵便物の認可をうけた。だから八月號からは送料が、二十匁迄五厘、それから二十匁毎に五厘となつた。御注意まで。
[#地から1字上げ]――八月十八日・大阪――



底本:「梶井基次郎全集 第一卷」筑摩書房
   1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
初出:「青空」
   1926(大正15)年9月号
入力:土屋隆
校正:高柳典子
2005年5月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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