田舎の駄菓子屋ででも陳腐《ちんぷ》なものにちがいなかった。堯《たかし》は一度もその玩具が売れたのを見たことがなかった。
「何をしに自分は来たのだ」
 彼はそれが自分自身への口実の、珈琲《コーヒー》や牛酪《バター》やパンや筆を買ったあとで、ときには憤怒のようなものを感じながら高価な仏蘭西香料を買ったりするのだった。またときには露店が店を畳む時刻まで街角のレストランに腰をかけていた。ストーヴに暖められ、ピアノトリオに浮き立って、グラスが鳴り、流眄《ながしめ》が光り、笑顔が湧き立っているレストランの天井には、物憂い冬の蠅《はえ》が幾匹も舞っていた。所在なくそんなものまで見ているのだった。
「何をしに自分は来たのだ」
 街へ出ると吹き通る空っ風がもう人足を疎《まば》らにしていた。宵のうち人びとが掴《つか》まされたビラの類が不思議に街の一と所に吹き溜められていたり、吐いた痰がすぐに凍り、落ちた下駄の金具にまぎれてしまったりする夜更けを、彼は結局は家へ帰らねばならないのだった。
「何をしに自分は来たのだ」
 それは彼のなかに残っている古い生活の感興にすぎなかった。やがて自分は来なくなるだろう。堯《
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