うという気持に転じて行かないときがある。それは億劫というよりもなにか[#「なにか」に傍点]に魅せられている気持である。自分は自分の不活溌のどこかにそんな匂いを嗅《か》いだ。
なにかをやりはじめてもその途中で極《きま》って自分はぼんやりしてしまった。気がついてやりかけの事に手は帰っても、一度ぼんやりしたところを覗《のぞ》いて来た自分の気持は、もうそれに対して妙に空ぞらしくなってしまっているのだった。何をやりはじめてもそういうふうに中途半端中途半端が続くようになって来た。またそれが重なってくるにつれてひとりでに生活の大勢が極ったように中途半端を並べた。そんなふうで、自分は動き出すことの禁ぜられた沼のように淀《よど》んだところをどうしても出切ってしまうことができなかった。そこへ沼の底から湧《わ》いて来る沼気《メタン》のようなやつがいる。いや[#「いや」に傍点]な妄想《もうそう》がそれだ。肉親に不吉がありそうな、友達に裏切られているような妄想が不意に頭を擡《もた》げる。
ちょうどその時分は火事の多い時節であった。習慣で自分はよく近くの野原を散歩する。新しい家の普請が到るところにあった。自分
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