淺見淵君に就いて
梶井基次郎
−−
【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ]
−−
私は淺見君にはまだ數へる程しか會つたことのない間柄である。隨つて淺見君に就いては知ることが非常に尠い。尤も淺見君の弟である淺見篤(舊眞晝同人)とは高等學校のとき非常に親しかつた。淺見君に會つたそもそものはじめも彼を介してである。
最初にたしか紅屋の二階であつたと思ふが會つたときは、それが淺見兄弟の共通したフイジイオグノミイである、ちよつと西洋人臭い感じがした。そしてボオドレエルのあるポートレイトにどこか似てゐるやうに思つた。少し吃音癖のある控へ目な話し振りは淺見君の奧床しい人柄を想像させた。そしてこのときの印象は今に於ても少しも變つてゐない。このときはたしか僕達のやつてゐた「青空」が出たか出かけのときで、隨分以前の話である。
二度目はたしか池袋の方の田舍の新居へこれも弟の篤君と、訪ねたときである。このときは淺見君達は既に同人雜誌「朝」から「文藝城」をやつてゐた。そして種々同人雜誌の話をしたことを覺えてゐる。尾崎一雄君がなかなか太つ腹なことをやり、「文藝城」の經濟が尨大になるといふ話に面白いところがあつて、それは今でも頭に殘つてゐる。
弟の篤君が自分の頼りにし尊敬してゐる兄の淵君のところへ僕を連れて行つた氣持には、僕は忘れられない好い氣持を持つてゐる。僕達二人は京都に於て最も無頼な友達同志だつたのだから。そして淵君が篤君との關係で僕に種々な心遣ひをさせることなく僕をうけ入れて呉れたことにも僕はいい感じを持つた。そしてさうした二人の兄弟仲からまたいい感じを僕はうけとつたのである。つまり僕と淺見君とが最初にかはした印象は、私達が好い兒になつた、氣持のいい記憶からはじまつてゐるのだ。
以前に淺見君と會つたのはこの二回位のもので、それ以後は發表された數篇の小説で、その手堅い平明な作風に接した譯である。
淺見君の小説は、洗練された筆で自分の身邊のことを素朴に書いたものが多い。評論に筆をとつても、すべての言葉が、生活に根をおいた、平明な無理のないところから出て來てゐる。だから云はれてゐることが、すつかり心よくこちらの腹へはひる。そんな點では、僕は淺見君を文藝都市のなかでも、一番しつかりした人だと思つてゐる
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
梶井 基次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング