。それは己れと己れ等をいとしむ響を持つてゐた。
「お前達」夫がその言葉に托した、切々たる愛情が感ぜられた。
「お前達、お前達よ」呟きながら彼女はぽろぽろと涙を落した。
それからの彼女達はもう一切の音を立てなくなつた。死んだのだ。
そして彼女達のたてる物音が即ちその存在であつた、夫なる者の生命も同時に消えてしまつたのである。不思議にも、彼女達と枕を竝べて死んでゐたといふ彼は、彼女達の死と共に動かなくなつた陰影のことではなかつたのだらうか。
「心中」の話を私は左う云ふ風にきいてゐる。
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題がどうも白癡威しであるが、兔に角題の樣なものを作る意圖でこれは試みたのである。私は川端氏のこの神祕的な作品を、或程度私の感覺的な經驗で裏づけることの出來るのを感じたのだ。そこにこの試みの契機がある。そして、若しこれが成功したならば、畸形ながらにも、原作に對するある解釋と、私自身の創作が、同時に讀者に示せると思つてゐたのだつたが、それに必要な頭の透徹と時間の贅澤が與へられなかつたため、どうも強引でものにしたやうな傾きがある。原作の匂ひや陰影は充分かき亂され、神祕は平凡化され、引き緊つた文體はルーズになつてしまつた。然しそのある程度はこんな試みとして避け難い。
妻が茶碗をぶつつけるあたりから、おゝこの音を聞け、の邊までは原作と文字通り同樣である。原作に於て、この部分は、實に霹靂を聞く如き大音響をたてる所である。毬をつく音、靴の響き、飯を食ふ茶碗の音、次にこの大音響、そして永遠に微かな音も立てなくなる、この推移は、素晴らしい響きの藝術である。
本號で川端康成氏の作品に就て何か書かうと思つてゐた心組みが、幾屈折してこんなものを書いてしまつた。川端氏に對してはその作品を汚したことを幾重にもお詫びしたい。[#地から6字上げ]六・十九
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底本:「梶井基次郎全集 第一巻」筑摩書房
1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:高柳典子
校正:小林繁雄
2002年1
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