につけて冷やしてみたいような衝動を感じた。
「やはり疲れているのだな」彼は手足が軽く熱を持っているのを知った。

[#ここから2字下げ]
「私はおまえにこんなものをやろうと思う。
一つはゼリーだ。ちょっとした人の足音にさえいくつもの波紋が起こり、風が吹いて来ると漣《さざなみ》をたてる。色は海の青色で――御覧そのなかをいくつも魚が泳いでいる。
もう一つは窓掛けだ。織物ではあるが秋草が茂っている叢《くさむら》になっている。またそこには見えないが、色づきかけた銀杏《いちょう》の木がその上に生えている気持。風が来ると草がさわぐ。そして、御覧。尺取虫が枝から枝を葡《は》っている。
この二つをおまえにあげる。まだできあがらないから待っているがいい。そして詰らない時には、ふっと思い出してみるがいい。きっと愉快になるから。」
[#ここで字下げ終わり]

 彼はある日葉書へそんなことを書いてしまった、もちろん遊戯ではあったが。そしてこの日頃の昼となし夜となしに、時どきふと感じる気持のむずかゆさを幾分はかせたような気がした。夜、静かに寝られないでいると、空を五位が啼《な》いて通った。ふとするとその声が自分の身体のどこかでしているように思われることがある。虫の啼く声などもへんに部屋の中でのように聞こえる。
「はあ、来るな」と思っているとえたい[#「えたい」に傍点]の知れない気持が起こって来る。――これはこの頃眠れない夜のお極《きま》りのコースであった。
 変な気持は、電燈を消し眼をつぶっている彼の眼の前へ、物が盛んに運動する気配を感じさせた。厖大《ぼうだい》なものの気配が見るうちに裏返って微塵ほどになる。確かどこかで触ったことのあるような、口へ含んだことのあるような運動である。廻転機のように絶えず廻っているようで、寝ている自分の足の先あたりを想像すれば、途方もなく遠方にあるような気持にすぐそれが捲き込まれてしまう。本などを読んでいると時とすると字が小さく見えて来ることがあるが、その時の気持にすこし似ている。ひどくなると一種の恐怖さえ伴って来て眼を閉いではいられなくなる。
 彼はこの頃それが妖術が使えそうになる気持だと思うことがあった。それはこんな妖術であった。
 子供の時、弟と一緒に寝たりなどすると、彼はよくうつっ伏せになって両手で墻《かき》を作りながら(それが牧場のつもりであった)

前へ 次へ
全21ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
梶井 基次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング