城のある町にて
梶井基次郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)咳《せき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)星|水母《くらげ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)やれやれ[#「やれやれ」に傍点]
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ある午後
「高いとこの眺めは、アアッ(と咳《せき》をして)また格段でごわすな」
片手に洋傘《こうもり》、片手に扇子と日本手拭を持っている。頭が奇麗《きれい》に禿《は》げていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるで栓《せん》をはめたように見える。――そんな老人が朗らかにそう言い捨てたまま峻《たかし》の脇を歩いて行った。言っておいてこちらを振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望《ちょうぼう》へ向けたままで、さもやれやれ[#「やれやれ」に傍点]といったふうに石垣のはなのベンチへ腰をかけた。――
町を外《はず》れてまだ二里ほどの間は平坦な緑。I湾の濃い藍《あい》が、それのかなたに拡がっている。裾《すそ》のぼやけた、そして全体もあまりかっきりしない入道雲が水平線の上に静かに蟠《わだかま》っている。――
「ああ、そうですな」少し間誤《まご》つきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだ喉《のど》や耳のあたりに残っているような気がされて、その時の自分と今の自分とが変にそぐわなかった。なんの拘《こだわ》りもしらないようなその老人に対する好意が頬《ほほ》に刻まれたまま、峻《たかし》はまた先ほどの静かな展望のなかへ吸い込まれていった。――風がすこし吹いて、午後であった。
一つには、可愛《かわい》い盛りで死なせた妹のことを落ちついて考えてみたいという若者めいた感慨から、峻はまだ五七日を出ない頃の家を出てこの地の姉の家へやって来た。
ぼんやりしていて、それが他所《よそ》の子の泣声だと気がつくまで、死んだ妹の声の気持がしていた。
「誰だ。暑いのに泣かせたりなんぞして」
そんなことまで思っている。
彼女がこと[#「こと」に傍点]切れた時よりも、火葬場での時よりも、変わった土地へ来てするこんな経験の方に「失った」という思いは強く刻まれた。
「たくさんの虫が、一匹の死にかけている虫の周囲に集まって、悲しんだり泣いたりしている」と友人に書いたような、彼女の死の前後の苦しい経験がやっと薄い面紗《ヴェイル》
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