膽な手法は全く驚嘆に値する。
これらの作品及び「機械」「空腹について」などは第二詩集以後の彼の詩の主流をなすものである。それは次に「光について」の難解な一群の詩へはひつてゆく。私はそれへはひる前にこれらの間に介在してゐる傍流的なものを調査し整理してゆかねばならぬ。
「萎びた筒」「剃刀」などは「三半規管喪失」的なものである。前者のキタナさ、「剃刀」の痲痺的痛覺。共に彼の第一詩集から生き殘つたものである。私はいまもこのキタナさを愛してゐる。
「ラッシュ・アワア」も「風景」も「檢温器と花」的なものである。
「菱形の脚」「砂埃」「花」の三つの「支那風景」は「光について」などと竝行して書かれたものである。おそらく休息的な愉しさが彼をとらへたのであらう。人をして微笑ましめる。秀れた作品である。菱形の脚の間に見えてゐる風景、女の姿をかくしてしまふ砂埃、心憎いことである。
さて私は「光について」へはひらう。
彼はこれらの詩に於いて「絶望の歌」以後の更に深い精神的苦悶の時期を經てゐる。彼の詩は難解になつた。このことは一つの極點を暗示してゐる。即ち彼が自己の主觀のなかに苦しむことの、これが最後の姿なのである。さう私は考へる。
「光について」のなかにはわれわれにとつて噛み割り難い數多の Symbol と Metaphor がある。その間に、傷ついた魚が深く水中に沒して、ときどきその苦しんでゐる身の在所をキラ・キラ、と光らすやうに、生命、死、光明の Symbol が閃めく。
「皮膚の經營」「戀愛の結果」「灰」は暫時私には不可解である。
「光について」の六齣の詩も僅かにその片鱗が理解出來るにとどまる。
[#天から2字下げ]壁のうへの蟻の凍死、焔のつらら。
この一行の詩は私をしてボオドレエルの「秋の歌」の一節を思ひ出さしめる。
[#ここから2字下げ]
冬のすべては私の身内に迫つて來る。――それは、苦痛、憎惡、戰慄、強ひられた苦役や恐怖。
そして極地のうへのかの北方の太陽のやうに、
私の心臟は直ぐにも一箇の石となつてしまふであらう、凍結し灼然せる。
[#ここで字下げ終わり]
勿論彼の念頭にこの詩はなかつたのである。私はその契合に驚く。しかもこの詩は最後の凝結を示してゐる。
「花」「人間」「光について」(50[#「50」は縦中横]頁)の三つの詩も解し難い。そして私はこれらの謎のや
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