いる者の声だった。その声はよく透《とお》り、一日中変わってゆく渓あいの日射《ひざ》しのなかでよく響いた。そのころ毎日のように渓間を遊び恍《ほう》けていた私はよくこんなことを口ずさんだ。
――ニシビラへ行けばニシビラの瑠璃、セコノタキへ来ればセコノタキの瑠璃。――
そして私の下りて来た瀬の近くにも同じような瑠璃が一羽いたのである。私ははたして河鹿の鳴きしきっているのを聞くとさっさと瀬のそばまで歩いて行った。すると彼らの音楽ははたと止まった。しかし私は既定の方針通りにじっと蹲《うずく》まっておればよいのである。しばらくして彼らはまた元通りに鳴き出した。この瀬にはことにたくさんの河鹿がいた。その声は瀬をどよもして響いていた。遠くの方から風の渡るように響いて来る。それは近くの瀬の波頭の間から高まって来て、眼の下の一団で高潮に達しる。その伝播《でんぱ》は微妙で、絶えず湧《わ》き起り絶えず揺れ動く一つのまぼろしを見るようである。科学の教えるところによると、この地球にはじめて声[#「声」に傍点]を持つ生物が産まれたのは石炭紀の両棲類《りょうせいるい》だということである。だからこれがこの地球に響い
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