んまりで、しかも実に余念なく組打ちをしている。
 彼らは抱き合っている。柔らかく噛《か》み合っている。前肢でお互いに突張り合いをしている。見ているうちに私はだんだん彼らの所作に惹《ひ》き入れられていた。私は今彼らが噛み合っている気味の悪い噛み方や、今彼らが突っ張っている前肢の――それで人の胸を突っ張るときの可愛《かわい》い力やを思い出した。どこまでも指を滑《すべ》り込ませる温《あたた》かい腹の柔毛《にこげ》――今一方の奴《やつ》はそれを揃《そろ》えた後肢で踏んづけているのである。こんなに可愛い、不思議な、艶めかしい猫の有様を私はまだ見たことがなかった。しばらくすると彼らはお互いにきつく抱き合ったまま少しも動かなくなってしまった。それを見ていると私は息が詰って来るような気がした。と、その途端露路のあちらの端から夜警の杖《つえ》の音が急に露路へ響いて来た。
 私はいつもこの夜警が廻《まわ》って来ると家のなかへはいってしまうことにしていた。夜中おそく物干しへ出ている姿などを私は見られたくなかった。もっとも物干しの一方の方へ寄っていれば見られないで済むのであるが、雨戸が開いている、それを見て大きい声を立てて注意をされたりするとなおのこと不名誉なので、彼がやって来ると匆々《そうそう》家のなかへはいってしまうのである。しかし今夜は私は猫がどうするか見届けたい気持でわざと物干しへ身体を突き出していることにきめてしまった。夜警はだんだん近づいて来る。猫は相変わらず抱き合ったまま少しも動こうとしない。この互いに絡《から》み合っている二匹の白猫は私をして肆《ほしいまま》な男女の痴態を幻想させる。それから涯《はて》しのない快楽を私は抽《ひ》き出すことが出来る。……
 夜警はだんだん近づいて来た。この夜警は昼は葬儀屋をやっている、なんとも云えない陰気な感じのする男である。私は彼が近づいて来るにつれて、彼がこの猫を見てどんな態度に出るか、興味を起して来た。彼はやっともうあと二間ほどのところではじめてそれに気がついたらしく、立ち留った。眺めているらしい。彼がそうやって眺めているのを見ていると、どうやら私の深夜の気持にも人と一緒にものを見物しているような感じが起って来た。ところが猫はどうしたのかちっとも動かない。まだ夜警に気がつかないのだろうか。あるいはそうかも知れない。それとも多寡《たか》を括《くく》ってそのままにしているのだろうか。それはこういう動物の図々しいところでもある。彼らは人が危害を加える気遣《きづか》いがないと落ち着き払って少しぐらい追ってもなかなか逃げ出さない。それでいて実に抜け目なく観察していて、人にその気配が兆《きざ》すと見るやたちまち逃げ足に移る。
 夜警は猫が動かないと見るとまた二足三足近づいた。するとおかしいことにはニつの首がくるりと振り向いた。しかし彼らはまだ抱き合っている。私はむしろ夜警の方が面白くなって来た。すると夜警は彼の持っている杖をトンと猫の間近で突いて見せた。と、たちまち描は二条の放射線となって露路の奥の方へ逃げてしまった。夜警はそれを見送ると、いつものようにつまらなそうに再び杖を鳴らしながら露路を立ち去ってしまった。物干しの上の私には気づかないで。

その二

 私は一度|河鹿《かじか》をよく見てやろうと思っていた。
 河鹿を見ようと思えばまず大胆に河鹿の鳴いている瀬のきわまで進んでゆくことが必要である。これはそろそろ近寄って行っても河鹿の隠れてしまうのは同じだからなるべく神速に行なうのがいいのである。瀬のきわまで行ってしまえば今度は身をひそめてじっとしてしまう。「俺《おれ》は石だぞ。俺は石だぞ。」と念じているような気持で少しも動かないのである。ただ眼だけはらんらんとさせている。ぼんやりしていれば河鹿は渓《たに》の石と見わけにくい色をしているから何も見えないことになってしまうのである。やっとしばらくすると水の中やら石の蔭から河鹿がそろそろと首を擡《もた》げはじめる。気をつけて見ていると実にいろんなところから――それが皆申し合わせたように同じぐらいずつ――恐る恐る顔を出すのである。すでに私は石である。彼らは等しく恐怖をやり過ごした体で元のところへあがって来る。今度は私の一望の下に、余儀ないところで中断されていた彼らの求愛が encore されるのである。
 こんな風にして真近に河鹿を眺めていると、ときどき不思議な気持になることがある。芥川龍之介は人間が河童《かっぱ》の世界へ行く小説を書いたが、河鹿の世界というものは案外手近にあるものだ。私は一度私の眼の下にいた一匹の河鹿から忽然《こつぜん》としてそんな世界へはいってしまった。その河鹿は瀬の石と石との間に出来た小さい流れの前へ立って、あの奇怪な顔つきでじっと水の流れるの
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