闇の絵巻
梶井基次郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)強盗が捕《つか》まって

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)第一|階梯《かいてい》である
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 最近東京を騒がした有名な強盗が捕《つか》まって語ったところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さえあれば何里でも走ることができるという。その棒を身体の前へ突き出し突き出しして、畑でもなんでも盲滅法《めくらめつぽう》に走るのだそうである。
 私はこの記事を新聞で読んだとき、そぞろに爽快《そうかい》な戦慄《せんりつ》を禁じることができなかった。
 闇《やみ》! そのなかではわれわれは何を見ることもできない。より深い暗黒が、いつも絶えない波動で刻々と周囲に迫って来る。こんななかでは思考することさえできない。何が在《あ》るかわからないところへ、どうして踏み込んでゆくことができよう。勿論われわれは摺《すり》足でもして進むほかはないだろう。しかしそれは苦渋や不安や恐怖の感情で一ぱいになった一歩だ。その一歩を敢然と踏み出すためには、われわれは悪魔を呼ばなければならないだろう。裸足《はだし》で薊《あざみ》を踏んづける! その絶望への情熱がなくてはならないのである。
 闇のなかでは、しかし、もしわれわれがそうした意志を捨ててしまうなら、なんという深い安堵《あんど》がわれわれを包んでくれるだろう。この感情を思い浮かべるためには、われわれが都会で経験する停電を思い出してみればいい。停電して部屋が真暗になってしまうと、われわれは最初なんともいえない不快な気持になる。しかしちょっと気を変えて呑気《のんき》でいてやれと思うと同時に、その暗闇は電燈の下では味わうことのできない爽《さわ》やかな安息に変化してしまう。
 深い闇のなかで味わうこの安息はいったいなにを意味しているのだろう。今は誰の眼からも隠れてしまった――今は巨大な闇と一如《いちにょ》になってしまった――それがこの感情なのだろうか。
 私はながい間ある山間の療養地に暮らしていた。私はそこで闇を愛することを覚えた。昼間は金毛の兎が遊んでいるように見える谿《たに》向こうの枯萱山《かれかややま》が、夜になると黒ぐろとした畏怖《いふ》に変わった。昼間気のつかなかった樹木が異形《いぎょう》な姿を空に現わした。夜の外出には提灯《ちょうちん》
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