っていた。そして吉田はあるときその娘が毎日食後に目高《めだか》を五匹宛|嚥《の》んでいるという話をきいたときは「どうしてまたそんなものを」という気持がしてにわかにその娘を心にとめるようになったのだが、しかしそれは吉田にとってまだまだ遠い他人事《ひとごと》の気持なのであった。
ところがその後しばらくしてそこの嫁が吉田の家へ掛取《かけと》りに来たとき、家の者と話をしているのを吉田がこちらの部屋のなかで聞いていると、その目高《めだか》を嚥《の》むようになってから病人が工合がいいと言っているということや、親爺さんが十日に一度ぐらいそれを野原の方へ取りに行くという話などをしてから最後に、
「うちの網はいつでも空《あ》いてますよって、お家の病人さんにもちっと取って来て飲ましてあげはったらどうです」
というような話になって来たので吉田は一時に狼狽《ろうばい》してしまった。吉田は何よりも自分の病気がそんなにも大っぴらに話されるほど人々に知られているのかと思うと今|更《さら》のように驚かないではいられないのだったが、しかし考えてみれば勿論それは無理のない話で、今更それに驚くというのはやはり自分が平常
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