浮かんで来るわけのわからない言葉があったことを吉田は思い出した。それは「ヒルカニヤの虎」という言葉だった。それは咳の喉を鳴らす音とも連関《れんかん》があり、それを吉田が観念するのは「俺はヒルカニヤの虎だぞ」というようなことを念じるからなのだったが、いったいその「ヒルカニヤの虎」というものがどんなものであったか吉田はいつも咳のすんだあと妙な気持がするのだった。吉田は何かきっとそれは自分の寐《ね》つく前に読んだ小説かなにかのなかにあったことにちがいないと思うのだったがそれが思い出せなかった。また吉田は「自己の残像」というようなものがあるものなんだなというようなことを思ったりした。それは吉田がもうすっかり咳をするのに疲れてしまって頭を枕へ凭《もた》らせていると、それでもやはり小さい咳が出て来る、しかし吉田はもうそんなものにいちいち頸《くび》を固くして応じてはいられないと思ってそれを出るままにさせておくと、どうしてもやはり頭はそのたびに動かざるを得ない。するとその「自己の残像」というものがいくつもできるのである。
しかしそんなこともみな苦しかった二週間ほどの間の思い出であった。同じ寐られない晩にしても吉田の心にはもうなにかの快楽を求めるような気持の感じられるような晩もあった。
ある晩は吉田は煙草を眺めていた。床の脇にある火鉢の裾に刻煙草《きざみたばこ》の袋と煙管《きせる》とが見えている。それは見えているというよりも、吉田が無理をして見ているので、それを見ているということがなんとも言えない楽しい気持を自分に起こさせていることを吉田は感じていた。そして吉田の寐られないのはその気持のためで、言わばそれはやや楽しすぎる気持なのだった。そして吉田は自分の頬がそのために少しずつ火照《ほて》ったようになって来ているということさえ知っていた。しかし吉田は決してほかを向いて寐ようという気はしなかった。そうするとせっかく自分の感じている春の夜のような気持が一時に病気病気した冬のような気持になってしまうのだった。しかし寐られないということも吉田にとっては苦痛であった。吉田はいつか不眠症ということについて、それの原因は結局患者が眠ることを欲しないのだという学説があることを人に聞かされていた。吉田はその話を聞いてから自分の睡《ね》むれないときには何か自分に睡むるのを欲しない気持がありはしないかと
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