、落魄《らくはく》した男の姿を感じた。その男の子供に対する愛を感じた。そしてその子供が幼い心にも、彼らの諦めなければならない運命のことを知っているような気がしてならなかった。部屋のなかには新聞の付録のようなものが襖《ふすま》の破れの上に貼ってあるのなどが見えた。
それは彼が休暇に田舎へ帰っていたある朝の記憶であった。彼はそのとき自分が危く涙を落としそうになったのを覚えていた。そして今も彼はその記憶を心の底に蘇《よみがえ》らせながら、眼の下の町を眺めていた。
ことに彼にそういう気持を起こさせたのは、一棟《ひとむね》の長屋の窓であった。ある窓のなかには古ぼけた蚊帳《かや》がかかっていた。その隣の窓では一人の男がぼんやり手摺《てすり》から身体を乗り出していた。そのまた隣の、一番よく見える窓のなかには、箪笥《たんす》などに並んで燈明の灯った仏壇が壁ぎわに立っているのであった。石田にはそれらの部屋を区切っている壁というものがはかなく悲しく見えた。もしそこに住んでいる人の誰かがこの崖上へ来てそれらの壁を眺めたら、どんなにか自分らの安んじている家庭という観念を脆《もろ》くはかなく思うだろうと、そ
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