も馬鹿氣たところはない。私は作者のかういふ風な書き方に同感を持つ者だ。八木氏等の出してゐる麒麟といふ同人雜誌は最近寄贈をうけてゐたが、自分は讀まなかつたが、この小説のやうに外見はあまり引立たない。然し内容は――とこの小説の讀後の感じはそんなところへまで變に實感を持たせるのである。
晴れた富士 (崎山猷逸氏)
この作品はこの作者の平常のものよりも惡いやうに思はれる。私は感心出來なかつた。「二」の馬車のなかで姉の肩が曉の腕に觸れて、そんなことも淋しく思ふ。――あのあたりのやうな眞實さがこの作品の重要なところに缺けてゐると思ふ。
姉の死と彼 (中山信一郎氏)
依怙地なやうな變に感じのある作家である。然しそれもこの作品に於ては完成から非常に遠いと思はれる。
桃色の象牙の塔 (久野豐彦氏)
これの批評は差控へる。
結婚の花 (藤澤桓夫氏)
この作家の從來の作品に於て、これまで私にネガテイヴな價値しか持つてゐなかつたものは、この作品によつてポヂテイヴなものに改められた。それはこの「三」に於けるが如き立派な完成を見たからである。實感を伴はない文字の遊戲と思はれてゐたものが、強い實感を現すための新しい手段と見直せるやうになつた。それでもなほ得心のゆかぬ個所もある。それは作者と私との趣味の相違や、私の讀み方の不足や、作者の技巧の未完成が混り合つて原因してゐるのであらうが、そんな個所は末梢的であつて、何よりも私はこの作品を貫いてゐる作者のまともな精神に觸れて心強く思つた。そして「冬の切線」や「明日」を讀み直したのであるが、そんなものと比較して細いことを書き度いと思つてゐたが、時間が切迫したため何時かの機會に讓ることにする。
早春の蜜蜂 (尾崎一雄氏)
全篇清新な筆觸で書かれてゐる。殊に蜜蜂の描寫、八年前の或る朝の記憶は秀れてゐる。然し讀み終つてなにか物足らぬ感じがある。それは各部分が秀れた描寫であるに拘らず、それを緊めくゝるものが稀薄なせいである。二年前の短篇に於ても蜜蜂と妹の死との間にはつながりの必然性がない。二年前と今との氣持の相違を書いて後半の追憶に移るのは自然ではあるが積極的な意味を持つてゐる譯ではない。然し最後にK子の死を敍したあと不吉な二月、それに關聯して再び蜜蜂のことへかへつて來たのは首尾照應してさきの蜜蜂を生かしてはゐる。物足りなく思ふもう一つは主人公の氣持が純眞ではあるが、その力み方に少し誇張したところが感じられることである。それはこの作品を汚すものではない。却つてある美しさを與へてはゐるが、この作品を深めるものではないと思ふ。
然しこの二つのこと、積極的な不滿ではない。何となく物足りなく思ふ。その原因をそこに求めたばかりである。
「さゝやかな事件」以外にこの人を知らなかつた私はこの作品によつて世評を欺かない作者のいい素質を見たと思つてゐる。
中谷がやることになつてゐたこの批評を、中谷が小説をかいたため書けなかつたといふので、編輯の淺沼から此方へ廻された。やりなれないことでもあり、同人の清水が京都から上京して來たり、氣を散らして、たうとう締切に迫られ充分なものが書けなかつた。作家諸氏や編輯者にお詫びをしなければならない。
最後に、新潮が新人號を出して同人雜誌の作家に書かせたことは時宜を得たいゝ企てゞあると思ふ。
それは文壇にとつても同人雜誌作家にとつてもよき刺戟となつたに違ひない。若しまた新人號がヂヤナリズムとして成功してゐたならば、それは新潮社にとつても同人雜誌作家にとつても賀すべきことであつた。更によき次回の新人號のためにその成功であつたことを願ふ。
[#地から1字上げ](大正十五年十一月)
底本:「梶井基次郎全集 第一卷」筑摩書房
1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
初出:「青空」
1926(大正15)年11月号
入力:土屋隆
校正:高柳典子
2005年5月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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