とつた荒療治――そのときはカフエーで五人連の暴力團に喧嘩を賣つたのであるが――によつて再び鬪志を強めようと思ふ。そして拳鬪試合に飛び入りをすることが、書いてあるのだが、鬪志といふものがさうした亂暴な荒療治を必要とするものかどうか、それが主人公の稱してゐる如く唯物論的なものであるかどうかはしばらくおくとして、作品の重心がまるで劍劇のやうな立廻りに置かれてゐるといふことは馬鹿々々しい氣を起させる。しかし一種の才筆。

     吹雪 (岩藤雪夫氏)

 北海道の監獄部屋のことが書かれてゐる。力作である。難點は描寫に知識的な語彙が多いことである。さうしたことがこの作一體に、生活からのものでない、描寫からの――文學からの詠嘆を與へてゐる。しかし讀みごたへのするものであることは爭へない。
 革鞭と樫の棒との間斷なき脅威、粗食と過勞と濕氣のための病氣――反抗の氣力も、性格さへもなくしてしまつた人夫達が、最後に解放されて吹雪のなかへ出てゆき、死物狂の復シユウに立ち歸るまでのことが重々しい印象で書かれてゐる。[#地から1字上げ](昭和三年八月)



底本:「梶井基次郎全集 第一卷」筑摩書房
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