に役立つてゐることは認めなければならない。
 次に「街」西澤隆二氏の續きものであるから批評は完成を待つてやることにする。


   『文藝戰線』


     返される包 (細田源吉氏)

 凡作。これは小店員の話であるが、同じやうに中番頭のものが六月號の文章倶樂部に出てゐたが、その方がずつとよかつた。近江商人の店などでは、新潟あたりから小僧をやとひ番頭にしてやるといふ條件でながい間の奉公を勸めさせ、やがてそれが相當の年配になると、酒や女で店をしくじるやうに仕向けて、結局店から追つ放つてしまふといふことが、常套的に行はれてゐるさうである。文章倶樂部のものはさうした資本家惡の犧牲になる一人の中番頭のなんともならない境遇が實に丹念にかけてゐた。それに比べてこれはあまりに凡作だ。平凡なことを書くのもいいがそれがなにかの意味で見直されてゐなければ、結局意味のない退屈なものになつてしまふのではないだらうか。

     荒療治 (山本勝治氏)

 ある港町の沖仲仕達を組織化しようとしてゐる一人のコンミユニストが、大事な仕事を前にして自分の固い決意の弛緩をふと意識する。そして以前やはりさうした時に
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