を終つた淀野隆三の活動と共に非常に私達を期待させるものである。北川冬彦、三好達治は二人とも名を成した詩人である。「青空」も考へて見れば隨分いい人達を持つてゐた。
 この稿は劇研究會の追憶としても「青空」の記録としてもその十分の一も完全ではない。記載すべき人の名も事柄もその煩に堪へないので書くことを止した。そのうへ會員同人の人達が共有した追憶を私一人で私したやうな氣持がしてならない。それだけのお斷りを云つて置く。
 京都を思ひ出し、三高を思出す毎に、尚賢館の北室や、佛教青年會館や、丸山の明ぼのを思ひ出す。私達が集まつて晩くまで本讀みをし、話をしたのも、佛蘭西から歸られた折竹先生を迎へてコポオの話を聞いたのも、さうした部屋の私達の圓居のなかであつた。そしてその記憶は常に東京のそれよりも樂しい。東京の思ひ出はいつも空つ風に吹き曝されてゐるやうな感じがある。京都ではいつもなにか温かく樂しいものが私達を包んでゐて呉れた。温かく、樂しいばかりではない。私はそのなかに自分を勇氣づけて呉れるものを常に感じてゐるのである。
[#地から1字上げ](昭和三年十二月)



底本:「梶井基次郎全集 第一卷」筑
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