ある。それは倉持が約束を変えず、後を追う気で自殺したといえば悲しみもし、気も狂わしく、医薬を尽しても助からなかったかも知れない。けれど、その場合、回復させるばかりが仁であろうか、長い恥辱をあたえてまで助けておくのが情であろうか?
「自動車を持って来い、退院するのだから」
と彼女は叫び、
「まだ御全快になりませんから」
と宥《なだ》めるのがいつもきまった文句であると新聞は伝えた。その悲しい叫びを駄々《だだ》といった。狂わしいほどに気に懸《かか》るものの安否は知れず、やる瀬なき絶叫は神に救いを求める讃美歌となって高唱された。
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おもひいづるも はづかしや
ちちのみもとを はなれきて
あとなきゆめの あとをおひ
むなしきさちを たのしみぬ
ならはぬわざの まきばもり
くさのいほりの おきふしに
ひとのなさけの うすごろも
うき世のかぜぞ 身にはしむ
やれしたもとに おくつゆも
ちちのめぐみを しのばせて
無明のやみは あけにけり
いざふるさとへ かへりゆかん。
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新聞紙は、この讃美歌は新約|路加《ルカ》伝第十五章第十一節より第三十二節
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