家附きの令夫人でなく、世間の評判のよくない物持ちなどの家に、あからさまに金で買われたように余儀なく嫁入りした女などの上の出来ごとであったならば、おなじ出来事をも、もすこし冷静に、正当な批判を下したであろう。
そうはいえ、事柄《ことがら》もむずかしかった。恋愛至上主義者も、この事件について、一家言《いっかげん》をたてるものも、家庭にあって、子女を前にしては、説が矛盾するといった。世論は紛々《ふんぷん》として、是非いずれにか結着をつけさせないではおかない勢いであった。婦人雑誌は争ってその論説を掲げた。高級雑誌でも、社会風教、道徳思潮について、然《しか》るべき人の説を載せた。婦人附録のある新聞では、主に女子教育に携わる、学校教育者の説を多く集めた。ましてそういう、世の耳目に触れた記事を、取り入れないではおかない種類では、雑俳《ざっぱい》に、川柳《せんりゅう》に、軽口《かるくち》に、一口噺《ひとくちばなし》に逃《のが》しはしなかった。昔の瓦版《かわらばん》の読売が進化したようなもので、それでも小説と銘を打った、低級な小本には「千葉心中」と、あからさまな題名をつけて、低級な読者を唆《そその》かした。新聞の競争は莫迦《ばか》々々しいほど激烈で、そのために、伝えなくてもよいほどの事までが、毎日々々、大きな活字の見出しになって、何か、非常な注意をひかなくってはならない大物かのように、彼女の病床でのことや、疵《きず》の経過のことまでが、一々洩れなく伝えられた。そのためには、余沫《よまつ》をうけて書かでもがなの人のことや秘事までが出されたりして、余計にその事件に関係をもった当事者たちを苛立《いらだ》たせ迷惑をかけもした。新聞記者連の競争の昂奮《こうふん》が一般の人たちにまで波動し、そして有爵者たちの群《むれ》を震動させた。そして後には米国から来る活動写真の連続もののように、鎌子を取巻く人たち――病院の人たち――新聞記者――記者同志打ち――というようなものになって、病院側や、芳川家がらみの方では何事も極力秘密に運ぼうとし、記者たちはそれを嗅出《かぎだ》す事に勉《つと》めながら、仲間の鼻毛を抜こうとするようにまでなった。鎌子の退院の日は何日? その後は? その後は、というように進んでいって、新聞社側の方では見張りにおさおさ手落ちなく、どんな風にして退院させようとも見現わさずにはおかない準
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