に亙《わた》り、放蕩児《ほうとうじ》が金を持ち、親や兄を捨て旅行して遊蕩に耽《ふけ》り、悉皆《すっかり》費消し尽して悲惨なる目に遭《あ》い、改心するまでを詠《よ》んだもので、鎌子夫人の身の上に似通う点があるから面白い――と言っている。面白いという言辞はかなしい。
[#ここから4字下げ]
いざふるさとへかへりゆかん――
[#ここで字下げ終わり]
という文句があるとて、彼女はのめのめと、父の邸《やしき》へ帰ってゆこうといってその節を唄《うた》ったのではない。彼女が父と呼んだのは天の父をさしたのである。彼女が唄った故郷は麻布の家ではなくて、霊の故郷、天国なのである。彼女は知っていたのだ。彼女の魂は彼れの霊に呼ばれていることを感じたのだ。

 鎌子は自殺|教唆罪《きょうさざい》だがとある法曹《ほうそう》大家は談じた。教唆は精神的関係、即ち脅迫して承諾させ、口説《くど》いて同意をさせたものを含むのであるゆえ、鎌子がさきに線路に飛込み、倉持がその後を追っているから地位資格上倉持はむしろ殉死したのだ。であるから法律上から見ると一種の脅迫的自殺と見なし、二百二条を適用して、六カ月以上七カ年以下の懲役または禁錮《きんこ》に処罰するのが相当だが、裁判所もこれまで充分に社会的制裁を加えられたものに対し、この上法律上の制裁まで加えまいと思うと述べた。
 同族間ではまた非常な非難で、宮内省ではどう処分するかという議論が沸騰した。華族監督の任にある宮内省では、芳川伯爵家が鎌子に対しどんな処分をとるかと注目していた。その上で、断乎《だんこ》たる処分に出ようとする意嚮《いこう》をほのめかした。やむをえない場合の手段とは、華族令の規程に則《のっと》る、宗秩寮《そうちつりょう》審議会に附して厳重な審議の上、処分法を講じて御裁可を仰ぎ、宮内大臣が施行するというのである。無論軽くてはすむまいとされたが、その前に伯爵家で適当な処置を取れば不問にしようとするのだと伝えられた。けれども、それは寛治氏から離婚をするだけではすまされない。伯爵家から籍を削除《のぞ》けば、そこではじめて平民になるのゆえ自然宮内省は管轄外となるのだとも噂された。
 千葉県警察部長の談では、警察官吏、及《および》警察医の報告によれば合意の心中であった事が明確ゆえ、たとい相手方の一人が仕損じて生存していたとて何らの犯罪も構成しない。ただ道徳
前へ 次へ
全20ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング