芳川鎌子
長谷川時雨

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)揃《そろ》えて

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)男女|相殺《そうさい》

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(例)[#ここから2字下げ]
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       一

 大正六年三月九日朝の都下の新聞紙は筆を揃《そろ》えて、芳川鎌子《よしかわかまこ》事件と呼ばれたことの真相を、いち早く報道し、精細をきわめた記事が各新聞の社会面を埋めつくした。その日は他《ほか》にも、平日《つね》ならば読者の目を驚かせる社会記事が多かった。たとえば我国の飛行界の第一人者として、また飛行将校のなかで、一般の国民に愛され、人気の高かった天才沢田中尉が、仏国から帰朝後、以前の放縦な生活を改めて自信ある、自らの考案になった機に乗って斯界《しかい》のために尽そうとした最初の日に墜落して名誉の犠牲者となったということや、米国大使が聖路加《せいろか》病院で逝去されたことなどが報じられた。それらの特報は大きな注目を受けなければならないのに、多くの人の目は多くというより、その悉《ことごと》くが鎌子夫人事件の見出しの、初号活字に魅惑されてしまった。
 まだ世人の記憶に新らしいその事件の内容を、委《くわ》しく此処《ここ》に並べないでもいいようにも思うが、けれども、ずっと後日《のち》に読む人のためには必要があるだろう。この事件もまた二人の人間の死んだことを報じたのだが、そのうちの一人が生返ったのと、その死にかたが自殺だったのと、その間に性的問題が含まれていたのと、身分位置というものがもたらす複雑な事情があった上に、その女性が華族の当主の夫人であるという、上流階級の出来ごとであるために、世の耳目を集めたうえに、各階級の種々の立場によって解釈され、論じられたのだった。ことに新らしい思想界の人々と、古い道徳の見地に立つ人との間には、非常に相違した説を互いに発表したりした。が、そうした立場の人たちの間にこそ、同情と理解をもって論じられもしたが、その以外《ほか》では、侮蔑《ぶべつ》と嘲弄《ちょうろう》の的となった。ことに倫落《りんらく》した女たちは、鬼の首でも取ったかのように、得々《とくとく》揚々として、批判も同情もなく、殆《ほとん》ど吐きだすような調子であげつらうのを聞いた。また場末の寄席《よせ
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