さまらないのだった。それをふと、
 本願寺さまだってお手|許《もと》が――武子さんはそんなにおごってはいません、といってしまったらば、急に見下げて、何もかも新しい調度は取消しにして、何もさせないので困ってしまったということだ。
 それが、何もかもを語っているとおもう。出来ない辛抱は、今の道にくるまでの、新らしい生活にもあったかもしれない。けれど、澄みたる月は暴風雨《あらし》のあとにこそ来る。あらしはすぎた。※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんのこしかたも大きな暴風雨《あらし》だった。
[#地から2字上げ]――昭和十年九月十七日――

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※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんの生母《おかあ》さんのことも、このごろわかったが、もうお墓の下へはいっていて、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんは墓参りをしただけで、なんにも言えなかったのだ。若くて死んだお母さんは、柳橋でお良《りょう》さんと名乗り、左褄《ひだりづま》をとった人だった。姉さんは吉原芸妓の名妓だったが、その老女は、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんを姪《めい》だと
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