とするところなり。
[#ここで字下げ終わり]
こういう書きかたであって、しかも『踏絵』が次に示すような、哀愁をおびた、情熱的《パッショネート》ななかに、悲しい諦《あき》らめさえみせているので、感じやすいわたしは自分から、すっかりつくりあげた人品《ひとがら》を「嫦娥《じょうが》」というふうにきめてしまっていたのだった。『踏絵』の装幀《そうてい》が、古い沼の水のような青い色に、見返しが銀で、白蓮にたとえたとかきいたが、それからくる感じも手伝って、嫦娥と思いこませ、この世の人にはない気高さを、まだ見ぬ作者から受取ろうとしていた。
だが、わたしは、そのおりの印象を、ふらんすの貴婦人のように、細《ほそ》やかに美しい、凛《りん》としているといっている。そして、泉鏡花さんに、『踏絵』の和歌《うた》から想像した、火のような情を、涙のように美しく冷たい体《からだ》で包んでしまった、この玲瓏《れいろう》たる貴女《きじょ》を、貴下《あなた》の筆で活《いか》してくださいと古い美人伝では、いっている。貴下のお書きになる種々な人物のなかで、わたくしの一番好きな、気高い、いつも白と紫の衣《きぬ》を重ねて着てい
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