るともいえる。で、その時代を醸《かも》した、前期の美人観をといえば、一口に、明治の初期は、美人もまた英雄的であったともいえるし、現今のように一般的の――おしなべて美女に見える――そうしたのではなかった。「とても昔なら醜女《しこめ》とよばれるのだが、当世では美人なのか。」と、今日の目をもたない、古い美人観にとらわれているものは歎声を発しるが、徳川末期と明治期とは、美人の標準の度があまりかけはなれてはいなかった。
無論明治期にはいって、丸顔がよろこばれてきていた。「色白の丸ポチャ」という言葉も出来た。女の眼には鈴を張れという前代からの言いならわしが、力強く表現されてきている。けれど、やはり瓜実顔《うりざねがお》の下《しも》ぶくれ――鶏卵形が尊重され、角《かく》ばったのや、額《ひたい》の出たのや、顎《あご》の突出たのをも異国情緒――個性美の現われと悦ぶようなことはなかった。
瓜実顔は勿論徳川期から美人の標型になっていた。その点で明治期は美人の型を破り、革命をなし遂《と》げたとはいえない。そして瓜実顔は上流貴人の相である。その点で明治美人は伝統的なものであり、やはり因習にとらわれていたとも
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