った彼女の顔容は、おごそかなほど美しかった。彼女は夫と並んで、その背には一人子の照子を背負っていた。そしていつも貧しい人の群れにまじって歩いていた。ある時は月島の長屋住居をし、ある時は一膳めしやに一食をとっていた。栗色の大理石《マーブル》で彫ったようなのが彼女であった。
 宗教家ではないが、愛国婦人会の建設者|奥村五百子《おくむらいおこ》も立派な容貌をもっていた。彼女が会を設立した意味は今日ほど無意義なものではなかった。彼女は幼いころから愛国の士と交わっていたので、彼女の血は愛国の熱に燃えていたのである。彼女は尋常一様の家婦としてはすごされないほど骨がありすぎた。彼女は筑紫《つくし》の千代の松原近き寺院の娘に生れたが、父は近衛公の血をひいていて、父兄ともに愛国の士であったゆえ、彼女も幼時から女らしいことを好まず、危い使いなどをしたりした。しかし一たん彼女は夫を迎えると、貞淑温良な、忠実な妻であった。彼女の夫は煎茶《せんちゃ》を売りにゆくに河を渡って、あやまって売ものを濡《ぬら》してしまうと、山の中にはいって終日、茶を乾《ほ》しながら書籍を読みふけっていて、やくにたたなくなった茶がらを背負って、一銭もなしで家に帰って来たりした。彼女は四人の子供を抱えて、そうした夫につかえるために貧苦をなめつくした。ある時は行商となり、ある時は車をおしてものを商《あきな》い、ある時は夫の郷里にゆく旅費がなくて、門附《かどづ》けをしながら三味線をひいて歩いたこともあった。晩年にやや志望《こころざし》を遂げるようになっても、すこしも心の紐《ひも》はゆるめず、朝鮮に、支那に、出征兵士をねぎらって、肺患の重《おも》るのを知りながら、薬瓶をさげて往来していた。

       五

 高橋おでんも、蝮《まむし》のお政も、偶々《たまたま》悪い素質をうけて生れて来たが、彼女たちもまた美人であった。おでんもお政も悪が嵩《こう》じて、盗みから人殺しまでする羽目になった。それにくらべては、花井お梅は思いがけなく人を殺してしまったので、獄裡《ごくり》に長くつながれたとはいえ、それを囚人あつかいにし、出獄してから後も、囚人であった事を売物|見世物《みせもの》のようにして、舞台にさらしたり、寄席《よせ》に出したりしたのはあんまり無惨《むざん》すぎる。社会は冷酷すぎる。彼女は新橋で売れた芸者であったが、日本橋区の浜町河岸《はまちょうがし》に「酔月《すいげつ》」という料理店をだした。そうした家業には不似合な、あんまり堅気な父親をもっていて、恋には一本気な彼女を抑圧しすぎた。我儘《わがまま》で、勝気で、売れっ児で通して来た驕慢《きょうまん》な女が、お酒のたちの悪い上に、ヒステリックになっていた時、心がけのよくない厭味《いやみ》な箱屋に、出過ぎた失礼なことをされては、前後無差別になってしまったのに同情出来る。彼女は自分の意識しないで犯した大罪を知ると直《すぐ》に、いさぎよく自首して出た。獄裡にあっても謹慎《きんしん》していたが、強度のヒステリーのために、夜々《よよ》殺したものに責められるように感じて、その命日になると、ことに気が荒くなっていたということであった。幾度かの恩赦《おんしゃ》によって、再び日の光を仰ぐ身となったが、薄幸のうちに死んでしまった。

       六

 ささや桃吉《ももきち》、春本万竜《はるもとまんりゅう》、照近江《てるおうみ》お鯉《こい》、富田屋八千代《とみたややちよ》、川勝歌蝶《かわかつかちょう》、富菊《とみぎく》、などは三都歌妓の代表として最も擢《ぬきんで》ている女たちであろう。そしても一人、忘れる事の出来ないのは新橋のぽんた――鹿島恵津子《かじまえつこ》夫人のある事である。
 桃吉の「笹屋」は妓名の時の屋号ではない。笹屋の名は公爵|岩倉具張《いわくらともはり》氏と共棲《ともずみ》のころ、有楽橋《ゆうらくばし》の角に開いた三階づくりのカフェーの屋号で、公爵の定紋《じょうもん》笹竜胆《ささりんどう》からとった名だといわれている。桃吉はお鯉の照近江に居たのである。照近江から初代お鯉が桂公の寵妾《ちょうしょう》となり、二代目お鯉が西園寺侯爵の寵愛となった。二代つづいて時の総理大臣侯爵に思われたので、桃吉も発奮したのであろう、彼女は岩倉公を彼女ならではならぬものにしてしまった。そして大勢の子のある美しい桜子夫人との仲をへだてて館《やかた》を出るようにさせてしまった。そして二人は、桃吉《ももきち》御殿《ごてん》とよばれたほど豪華な住居をつくって住んだりした果《はて》が、負債のために稼がなければならないという口実で、彼女が厭《あ》きていた内裏雛《だいりびな》生活から、多くの異性に接触しやすい、もとの家業に近い店をだしたのであった。彼女は笹屋の主人となり、ダイヤモ
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