た。
 いつぞや有楽座で、チェホフの「叔父《おじ》ワーニャ」を素人《しろうと》の劇団の方たちが演じたおり、奥村さんがギターを弾《ひ》く役をなさった事がありました。あの節お招きを頂きながら田端《たばた》のアトリエへうかがわなかったのを、いまでも大層残念に思っております。お宅が芝居のおけいこばになっているから見に来てくれるようにとお言《こと》づてのあったおり、わたくしは何ともいえぬ和気藹々《わきあいあい》としたものを感じました。わたくしもあなたがたを取巻く劇中の一人のはやくになって、田端の画室の仮《かり》けいこ場へ登場して、御家庭にも親しんでみたいと思っておりましたが、なかなか家を出ないのがわたくしの癖で、そうしなければと思っているうちが、何んでも一番心持が緊張している時で、さあという段になると気が重くなるのがわたくしの悪い習慣なのでございます。
 あなたをぜひ美人伝に入れなくてはならない方だと、わたくしがいったのを、人づてにお聞きになって「どうぞお書き下さい。だが、どんな風にお書きになるでしょう」と仰しゃったというお言《こと》づてを伺ったのも、もう三年も前になります。どんなふうにといって、あなたは単に美人伝ばかりの人ではありませんから、わたくしは、あっさりと、あなたのお名を加えて自分の満足だけに致すのです。貴女の伝記は、思想家として――近代女性の母としてあるべきです。
 あなたというお方は、気持の優しい方だと思います。知らない方は、あなたをまるで違ったふうに思っているでしょうと思います。女丈夫だから、若く、ねんごろにつかえる夫を持ったなどと推測にすぎることを言って平気なものもありますが、それは大変あやまった事で、あなたほどの方が夫から敬されたのはあたり前です。それ以上の親しみと愛が、そんな事を包んでしまうのを知らないのです。妻というものは台所の俎板《まないた》と同様、または雑巾《ぞうきん》ぐらいに見てよいものだといって憚《はばか》らないものがあることゆえ、妻の偉さを知っているものを白眼で見て、羨《うらや》ましさから起る嫉妬《しっと》にしか過ぎません。なんであなたほどのかたが、妻におもねり、機嫌ばかり取っているような、そんな男を男と見ましょうか、伴侶《はんりょ》として選みましょうか。見せかけだけでしか標準をさだめ得ない、世の中の軽薄さを思わせられます。
 田村俊子さんが
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