と思ったのであろう。彼女の手記には利己流のしれもの、二度と説を聴けば、厭《いと》うべくきらうべく、面に唾《つば》きをしようと思うばかりだとも言い、かかるともがらと大事を語るのは、幼子《おさなご》にむかって天を論ずるが如きものだ、思えば自分ながら我も敵を知らざる事の甚だしきだと、自分をさえ嘲笑《あざわら》っている。けれども久佐賀の方では、自分の方は名と富と力を貯えているものだと、慢じていたのであろう。そしてその上に、一葉の美と才と、文名とを合せればたいしたものだと己惚《うぬぼれ》たのであろう。他の者には洩《もら》すのさえ恥《はじ》ているだろうと思われる貧乏を、自分だけがよく知っていると思いもしたのであろう。まだそれよりも、彼女が親と妹のために、物質の満足を得させたいと願っている弱みを、彼れは自分一人が承知しているのだと思い上っていた。それのみならず彼れは、一葉を説破しえたつもりでいたかも知れない。
久佐賀は、金力を持って、さも同情あるように附込《つけこ》んでゆこうとした。そうした男ゆえ、俺ならば大丈夫良かろうと錨《いかり》をおろしてかかったのかも知れない。ともかく彼れはやんわりと、勝気
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