》つちのいとしごにて、少納言は霜ふる野辺にすて子の身の上成るべし、あはれなるは此君やといひしに、人々あざ笑ひぬ。
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と同情している。
とはいえその間に女史一代の天華は開いた。
「名誉もほまれも命ありてこそ、見る目も苦しければ今宵は休み給へ」
と繰返し諫《いさ》める妹のことばもききいれず、一心に創作に精進《しょうじん》し、大音寺前《だいおんじまえ》の荒物屋の店で、あの名作「たけくらべ」の着想を得たのであった。けれどもまた、漸く死の到来が、正面に廻って来たのでもあったが、そうとは知りようもなく、ただ家の事につき、母を楽しませる事についても、一層気掛りの度合《どあい》が増したものと見え、彼女は相場《そうば》をして見ようかとさえ思ったのだ。
私は此処まで書きながら、私も母の望みを満《みた》そうと、そんな考えを起した事が一再ならずあったので、この思いたちが突飛《とっぴ》ではない、全く無理もないことだと肯定する。その相場に関して、「天啓顕真術本部」という、妙な山師のところへ彼女がいったことから、すこしばかり恋愛をさがしてみよう。
荒物店《あらものや》を開いた時のことも書残してはならない。
――夕刻より着類《きるい》三口持ちて本郷いせ屋にゆき、四円五十銭を得、紙類を少し仕入れ、他のものを二円ばかり仕入れたとある。
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今宵はじめて荷をせをふ、中々に重きものなり。
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ともいい、日々の売上げ廿八、九銭よりよくて三十九銭と帳をつけ、五厘六厘の客ゆえ、百人あまりもくるため大多忙だと記《しる》したのを見れば、
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なみ風のありもあらずも何かせん
一葉《ひとは》のふねのうきよなりけり
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と感慨無量であった面影が彷彿《ほうふつ》と浮かんでくる。
三
廿七年二月のある日の午後に、本郷区|真砂町《まさごちょう》卅二番地の、あぶみ坂上の、下宿屋の横を曲ったのは彼女であった。その路は馴染《なじみ》のある土地であった。菊坂《きくざか》の旧居は近かった。けれども其処を歩いていたのは、謹厳深《つつしみぶか》い胸に問いつ答えつして、様々に思い悩んだ末に、天啓顕真術会本部を訪れようとしていたのであった。
黒塀《くろべい》の、欅《けやき》の植込みのある、小道を入っ
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