剥《む》いてる奴があるから――落目さ。そりゃあ、僕だって、このままでないという事は、自信はあるけれども。」
「どうしても、このお家《うち》を、お離れにならなければ、いけませんの。」
不自由なく育った錦子には、住居《すまい》を売って立退《たちの》くということは、没落ということを、眼で見ることだと思った。
「あたしが、いけなかったのでしょうか。」
と、自分の責《せめ》のように、家のなかを見廻した。小説修業の女弟子などが出はいりするのが、美妙が軽薄才子のように罵《ののし》られる種《たね》なのではないかと案じた。
「そんなことは、どうでもいいさ。この辺はね、金満家の住居や、別荘には――別荘って、妾宅《しょうたく》だよ。」
とニヤリとして、
「閑静で、便利でもって来いの土地さ。景色は好いし、われわれふぜいのボロ家は、だんだんなくなるさ。」
だから、今日は書斎の整理をすこし手伝ってもらおうかといった。
「ここのお室《へや》、なつかしくって――」
錦子が湿っぽくなるのを、
「君がはじめて来てくれたのは、二十四年だったかね。そうそう、君をおくった帰途《かえり》に、巡査に咎《とが》められたことがあったっけなあ。」
「あら、そんなことなんか、なかったわ。」
錦子は思い出にカッカする頬をおさえた。
「あるよ、山下町だったかでも査公に一ぺん咎《とが》められたし、たしかこの家の門前でも咎められたよ。咄《はな》さなかったかねえ、自分の家へ、盗人《ぬすっと》にはいる奴もないじゃないか。」
フッと、莨《タバコ》の煙を、錦子に吹きかけたが
「ハア? 違ったかな。すると、あれは静《しず》嬢だったかな。そうだ、思い出した、前の日に伯母《おば》さんにぶたれたと言ったっけ。」
こともなげに言いはしたが、錦子の血がサッと逆流するのを意地わるくはかるように、
「なにを妙な顔をしてんのさ。そんな女、今ごろいるもんかね。みんな追っぱらっちゃった。」
バタバタそこらの書籍を引っぱり出して抛《ほう》り出しながら、
「あ、こんないたずら書きがしてある。見たまえ。」
眼をよせて考えこんでしまっている錦子の手をグイと引っぱって差しつけたのは、
労役を恥《はじ》ぬを妻とする。芸妓《げいしゃ》前髪を気にする。と二行にならべて書いてある美妙の落書したものだった。
間もなく、小石川久堅町《こいしかわひさかたまち》に越すと、美妙が浅草公園の女を騙《だま》したという風説がやかましくなった。長い間だましていて、二千円からの金を奪ったというような悪評がたったのだった。
赤い紙の、四頁だった『万朝報』は大変売れる新聞だった。そこの記事にそうしたことが載っていたのを、美妙が反駁《はんばく》した。
妖艶《ようえん》の巣窟《そうくつ》の浅草公園で、ことに腕前の凄《すご》いといわれたおとめのことは、種にしようと思ったから近づいたのだ。三五《さんご》年の研究で、人事千百がわかったから、久し振りで書こうとおもっていたところだ。そこへ新聞記事になって紹介されたのは、好い前触れ太鼓だから、責めもしない、怒りもしない。丁度よいから早速そのままを昨日《きのう》から書出した。
というのだった。それを文士モラル問題として、手厳しく、というより致命的にやっつけたのが、『早稲田《わせだ》文学』だった。
「裸蝴蝶」の問題の時には、
――これより先、裸美の画|坊間《ぼうかん》の絵草紙屋《えぞうしや》に一ツさがり、遂に沢山さがる。道徳家|慨《なげ》き、美術家|呆《あき》れ、兵士喜んで買い、書生ソッと買う。而《しか》してその由来を『国民の友』の初刷に帰する者あり。吾人《ごじん》かつてゾラの仏国に出《い》でたるを仏国の腐敗に帰せしものあるを聞けり。由来すると説くものを聞かず――
と「小羊《こひつじ》漫言」に『早稲田文学』の総帥坪内逍遥は書いたが、おとめ問題での美妙の反駁文には手厳しかった。「小説家は実験を名として不義を行うの権利ありや」という表題で仮借《かしゃく》なくやった。
かなり誤っている記事であろうが、それを明らかに正誤もしないで、恬然《てんぜん》、また冷然、否むしろ揚々として自得の色あるはどうか、文壇に著名なる氏が、一身に負える醜名は、小説壇全体の醜声悪名とならざるを期せざるなりと責め、――いわゆる実験とは如何、不義醜徳を観察するの謂《いい》か、みずからこれを行うの謂か、もし後者なりとせば、窃盗《せっとう》の内秘を描かんとするときは、まず窃盗たり、姦婦《かんぷ》の心術を写さんとするときは、みずからまず姦通を試みざるべからず――
と、悪虐を描くためには、悪虐し、殺人にはみずから殺人するか、そんな世間法《せけんほう》な賊は、文壇にどんな功があろうとも齢《よわい》するを屑《いさぎ》よしとしない。特にそんな奴には警察が厳重にしてくれ。だが科学者のいう所の観察であろうと信じている。アジソンの「スペクテートル」における観察者の義であろうと思う。ならば、観察者は清浄|無垢《むく》の傍観者であり、潔白《けっぱく》雪の如くなるべきやと、堂々とやった。
美妙も思いがけなかったであろうが、錦子は泣くに泣けない激しい失望だった。
浅草公園の売茶の店は、仁王門のわきの、粂《くめ》の平内《へいない》の前に、弁天山へ寄って、昔の十二軒の名で、たった二軒しか残っていなかった。
観音堂裏には、江崎写真館の前側に、二、三軒あった。あとは池の廻りや花屋敷の近所に、堅気《かたぎ》な茶店で吹きさらしの店さきに、今戸焼の猫の火入れをおいて、牀几《しょうぎ》を出していた。
銘酒屋は、十九年の裏|田圃《たんぼ》(六区)が、赤い仕着《しきせ》の懲役人を使用して埋め立てられてから出来た、新商売だった。
石井とめという女は、売茶女だとも、銘酒屋女だともいうが、ともかく美妙は、おとめを二百円の身《み》の代金《しろきん》をだして、月三十円かの手当をやり、物見遊山《ものみゆさん》にも連れ廻り、着ものもかってあてがった――後のことは分らないが、はじめの支出を書いた日記を、錦子に開いて見せて、
「僕が、こんなことで厭になったのなら仕方がないが、君だけは、小説家としての僕を、知ってくれるはずだが――」
と、怨《うら》みっぽくさえいうのだった。
他人が見捨るなら、あたしは――という、不思議な反抗心が、一度は美妙に失望した錦子に、美妙を救おうという気を起させた。
そして、そう思ったことが錦子にとって、今までにない楽しさをもって来た。天涯孤立となった美妙は、錦子を、いなぶね女史として無二の話相手にしだした。錦子にとっては嬉しいことばかりだった。愛されるばかりでなく、急に一人の文学者として、美妙に遇されるようになったのだから――
人の噂《うわさ》も七十五日、あれまでにやられると美妙斎も復活しだした。稲舟も『文芸倶楽部』が博文館から発行されると、前に書いてあった「医学終業」を出して、目をつけられるようになった。「白ばら」は最初《はじめ》ての閨秀《けいしゅう》作家号に載《の》るし、「小町湯」や美妙との合作もつづいて発表された。
稲舟の作品は、美妙を離れないともいわれた。美妙に、令嬢|気質《かたぎ》を捨てろとでもいわれたためか、お転婆《てんば》な、悪達者《わるだっしゃ》だともいわれ、莫蓮女《ばくれんおんな》のようにさえ評判された。美妙との関係がそうさせたのでもあるし、そんな、ゴシップ的ばかりでなしに、女流作家のなかでの人気ものにした。
二人の結婚は、誰が見ても、するのが当然のようになっていながら、おそろしく気にされていたが、錦子がその相談に郷国《くに》へ帰ると、すぐあとから美妙斎が追っかけていって、近くの旅館に宿をとって、嫁にもらって行きたいと切り出した。
美妙斎は居催促《いざいそく》でせがむし、錦子はなんでもやってくれという。めんくらった親たちや祖母は、やっと、一家が帰依《きえ》している学識のある僧侶《そうりょ》に相談して、町の人がその問題に興味をもちはじめたのを防いだが、相続人だから千円のお金を附けたということを、町では噂《うわさ》した。
新婚の夫妻となって、作並《さくなみ》温泉から帰って来たのは二十八年の暮も、大晦日《おおみそか》の三、四日前だった。
それと、前か後かわからないが、箪笥《たんす》二十円、ボンネット七十円、夜具ふとん八十円何がいくらと、八十銭のあしだ[#「あしだ」に傍点]まで書きならべて、新聞紙であまり書きたてるから、披露しないわけにはゆかない、これだけの品代金を、金で送ってくれと、錦子は生家に四百何十円かをせびった。
来客には派手な社会の者もあり、見られても恥かしくないようにしたい。今は離れの一室に籠《こも》っているが笑われたくないとか、山田家で立《たて》かえるとしても、悠暢《ゆうちょう》に遊ばせている金ではないとか、披露の式は都下の新聞紙にも掲載されるだろうから、その費用の領収証は取り揃えてお目にかけるというような下書きは、美妙が書いて渡した。
華やかな嵐《あらし》を捲起《まきおこ》したこの新夫婦、稲舟美妙の結合は、合作小説「峰の残月」をお土産《みやげ》にして喝采《かっさい》された。
しかしまた、別種の暴風雨《あらし》が、早くも家のなかに孕《はら》みだしていたのだ。
世間的に美妙が蟄伏《ちっぷく》していた時には、心ならずも彼女たちも矛《ほこ》を伏せていた、おかあさんとおばあさんは、美妙の復活を見ると、あの輝かしかった天才息子を、大切な孫を、嫁女《よめじょ》が奪ってしまって、しかも、肩をならべて文学者|面《づら》をするのが気にいらない。
「僕を可愛がっているんだから――」
と、美妙はとりなすが、美妙が大祖《たいそ》と称するところの、八十五歳の養祖母おます婆さんは、木乃伊《ミイラ》のごとき体から三途《さんず》の川の脱衣婆《おばあ》さんのような眼を光らせて、姑《しゅうとめ》およしお婆さんの頭越しに錦子を睨《にら》めつけた。
美妙の父吉雄が、およしの妹とずっと同棲していて、帰らないというのも、この大祖お婆さんがいるからだということを、錦子は嫌というほど悟らせられた。
だが、そうした女傑が、二人も鎮座することは、錦子も承知の上だった。その覚悟はしていたのだが、耐えられないのは、日本橋に出ている芸妓に、美妙の子供が出来かけている――ということだ。狭い家庭内で、三人の女に泥渦《どろうず》を捏《こ》ねかえさせないではおかなかったのだ。
錦子は半狂乱のようになった。そんな時期だったのだろう。錦子は墨田川へ身を投げようとした。――墨田川! それは、ふうちゃんが水をみつめていた、あの橋の上流だ。
結婚してたった四月、お金を無心にやられたのだともいうし、離縁されて帰されたのだともいい、体の悪いのを案じて出京した母親が、連れもどったのだともいわれているが、そのうちのどれにしても帰りにくかった古里《ふるさと》へ、錦子は帰らなければならなかったのだが、故郷にも待っている冷たい眼は、傷心の人を撫《なで》てはくれない。
憂鬱《ゆううつ》の半年、身をひきむしってしまいたいような日々を、人形を抱いて見たり投《ほう》りだしたり、小説を書けば、「五大堂」のように、没身《みなげ》心中を思ったりして、錦子はだんだんに労《つか》れていった。
事あれかしの世間は、我儘娘の末路、自由結婚、恋愛|三昧《ざんまい》の破綻《はたん》を呵責《かしゃく》なく責めて、美妙に捨《すて》られた稲舟は、美妙を呪《のろ》って小説「悪魔」を書いていると毒舌を弄《ろう》した。
錦子は、そうまでされても美妙をかば[#「かば」に傍点]った。そんなものは書いていないということを、紅葉の文芸欄といってもよい、『読売新聞』によって、「月にうたう懺悔《ざんげ》の一節《ひとふし》」を発表してもらったが、自分が悪かったということばかりいっている、しどろもどろの長歌みたいなものだった。
恋とはそうしたものか、そんな中でも、美妙へは消息していた。手紙では人目が煩《うる》さいので、書
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