堂《ほうおうどう》のような五層楼――凌雲閣を睨《にら》む人に正直正太夫《しょうじきしょうだゆう》の緑雨醒客《りょくうせいきゃく》のあるのも面白い。
 上野山から眺めている連中のなかには、不知庵主人内田|魯庵《ろあん》があり、漢詩の大家で、業病《ごうびょう》にかかり妹の曾恵子《そえこ》を熱愛していた義弟勇三郎がその病の特効薬だときいて、他人の尻肉を斬《き》りとったりしたのち、死刑になった事件を引き起したりした、気の毒な野口|寧斎《ねいさい》がある。
「ちょっと、ちょっと、これ見ない? 見たくなければ見せない。」
と、孝子が、ヒラヒラと見せびらかした一枚には「明治文学界八犬士」の見立《みたて》がある。滝沢|馬琴《ばきん》の有名な作、八犬伝の八犬士の気質|風貌《ふうぼう》を、明治文壇第一期の人々に見立てたのだ。
「あら! 犬江親兵衛が美妙斎よ。」
と、錦子はよろこんだ。親兵衛は一番若くって、ピチピチしている人物だった。
 その親兵衛が美妙で、色ならば緑、草木ならば豊後梅《ぶんごうめ》だとある。
「豊後梅は、実が大きくって、生で食べても、梅干にしてもおいしい。」
「そんな、自慢ばかりしていないで、他《ほか》のも読んでよ。」
と、孝子は笑った。
 犬山|道節《どうせつ》が森鴎外で、色は黒、花では紫苑《しおん》。犬飼現八《いぬかいげんぱち》は森田思軒で、紫に猿猴杉《えんこうすぎ》。犬塚|信乃《しの》が尾崎紅葉で緋色《ひいろ》と芙蓉《ふよう》。犬田|小文吾《こぶんご》が幸田露伴、栗とカリン。大法師が坪内逍遥で白とタコ。
「緑は、すっきりしていて好いけれど――もうちっと。」
と錦子が色に不服をいうと、孝子が「花見立」というのから、
「桃よ、美妙斎は桃よ、紅葉は桜見立よ。」
と選《え》りだした。

       三

 錦子は出京してから、一ツ橋の学校にも近いので、神田|猿楽町《さるがくちょう》の親戚《しんせき》の家に泊っていた。
 小さい家ではあったが、黒塀の中から、深張りの洋傘《こうもり》をさしたりして、錦子が出てくると、附近には法律学校や医学校の書生が多かったので、目をひいた。
 駿河台《するがだい》の山田の家とはいくらも距離がなかったから、自然と足近くなっていった。美妙は文学者の話をよくしてくれた。そのうちに、手を入れてやった錦子の小説を、発表してくれるとも言った。
 駿河台
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