歸つた。

 ――おおなんと、それから長い長い月日が流れたか。松崎中佐といふ、見上げるやうな大きな、容貌魁偉の軍人さんにお逢ひしたのは近年だ。その方が、安城渡《あんじやうと》の激戰に戰死された松崎大尉の遺孤《ゐこ》だつたのだ。私はその時、購《あがな》つた繪雙紙《ゑざうし》をもつてゐたので差上げたらば、大層よろこばれて、自宅《うち》にはなかつたので、母が――松崎大尉未亡人が非常によろこび、懷しがつたとお禮を申された。
 松崎大尉が陸軍で一番最初の戰死だつたやうに覺えてゐる。安城川《あんじやうがは》を渡るのに、連日の霖雨で水嵩がまして、淺いところでも頸《くび》に達したのを、大尉が劒を翳して先頭に立つて渡つた。前隊が行き過ぎたころ、伏兵が後隊との間に現はれ、大尉の憤戰死鬪は敵を潰走せしめたが、終にそこに戰死をされたのだつた。

 連戰連勝だが、身の引き緊るやうな話も幾度かきいた。連戰連勝つたつて、ただ幸運でそこまで行くものではないといふ教へを、たしかに心にうけた。
 東京では祝賀會に、豚の据物斬《すゑものぎり》をして、豚汁をつくり、祝酒《いはひざけ》を飮むことが多かつた。父は豚の据物斬《すゑ
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