かをそなはり候《さふらふ》べき。とくとくこそ生《うま》れ候《さふら》はむずれ。此藥《このくすり》をのませ給はば、疑なかるべき也《なり》。闇《やみ》なれども、燈《ひ》入《い》りぬれば明《あきら》かなり。濁水《だくすゐ》にも月《つき》入《い》りぬればすめり。明《あきら》かなる事《こと》日月《じつげつ》にすぎんや。淨《きよ》き事《こと》蓮華《れんげ》にまさるべきや。法華經は日月《じつげつ》と蓮華《れんげ》なり。故に妙法蓮華經《めうほふれんげきやう》と名《なづ》く。日蓮《にちれん》又日月と蓮華との如くなり。信心の水すまば利生の月必ず應《おう》を垂《た》れ、守護し給べし。とくとく生《うま》れ候べし。法華經云如是妙法《ほけきやうにいはくによぜめうほふ》、又《また》云《いはく》、安樂産福子云々《あんらくさんふくしうんぬん》。口傳相承《くでんさうしよう》の事は、此辨公《このべんこう》(註《ちう》・使僧日昭《しそうにつせう》)にくはしく申ふくめて候。則《すなはち》、如來使《によらいのつかひ》なるべし。返々《かへす/″\》も信心候べし。天照大神は玉《たま》をそさのをのみこにさづけて、玉《たま》の如《ごと》くの子《こ》をまふけたり。然間《しかるあひだ》、日《ひ》の神《かみ》、我子《わがこ》となづけたり。さてこそ正哉吾勝《まさやあかつ》とは名《なづ》けたれ。日蓮うまるべき種《たね》をなづけて候へば、爭《いかで》か我子《わがこ》にをとるべき、有一寶珠價値三千等《ういつはうしゆかちさんぜんとう》、無上寶聚不求自得《むじやうはうしうふきうじとく》。釋迦如來皆是吾子等云々《しやかによらいみなこれわがこうんぬん》。日蓮あにこの義にかはるべきや。幸なり、幸なり、めでたし、めでたし、又々申べく候。あなかしこ、あなかしこ。
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護符《ごふ》――藥の功徳あらはれてか、その手紙のあつた翌日、五月八日に女子が生れたので、早速名づけ親になられたのだ。
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若童|生《うま》れさせ給由承候《たまひしよしうけたまはりさふらふ》。目出たく覺へ候《さふらふ》。誠《まこと》に今日は八日《やうか》にて候《さふらふ》も、彼《かれ》と云《いひ》此《これ》と云《いひ》、所願《しよぐわん》しほ(潮)の指す如く、春の野に華の開けるが如し。然れば、いそぎいそぎ名《な》をつけ奉《たてまつ》る。月滿御前《つきまろごぜん》と申《まを》すべし。其上《そのうへ》、此國の主《ぬし》八幡大菩薩は卯月《うづき》八|日《か》にうまれさせ給《たま》ふ。娑婆世界《さばせかい》の教主|釋尊《しやくそん》も、又卯月八日に御誕生なりき。今《いま》の童女《どうによ》、又月は替れども、八日にうまれ給ふ。釋尊、八幡のうまれ替りとや申さん。日蓮は凡夫なれば能《よく》は知《しら》ず。是《これ》併《しかし》、日蓮が符《ふ》を進《まゐ》らせし故《ゆゑ》也《なり》。さこそ父母《ふぼ》も悦《よろこ》び給覽《たまふらん》。誠に御祝として、餅、酒、鳥目《てうもく》一|貫文《くわんもん》送給候畢《おくりたまひさふらひぬ》。是《これ》また、御本尊《ごほんぞん》十|羅刹《らせつ》に申上て候。今日|佛《ほとけ》、生《うま》れさせまします時に、三十二の不思議あり、此事、周書異記云文《しうしよいきといふふみ》にしるし置《お》けり。釋迦佛は誕生したまひて七歩し、口を自《みづから》開《ひら》いて、天上天下唯我獨尊《てんじやうてんかゆゐがどくそん》、三|界皆苦我當度《がいかいぐがたうど》。之《こ》の十六字を唱《とな》へ給ふ。今の月滿御前は、うまれ給ひてうぶごゑ(初聲)に南無妙法蓮華經と唱へ給ふ歟。法華經云、諸法實相《しよほふじつさう》。天台云《てんだいにいはく》、聲爲佛事等云々《せいゐぶつじとううんぬん》。日蓮又かくの如く推し奉《たてまつ》る。たとへば雷《いかづち》の音《おと》、耳《みゝ》しい(聾《つんぼ》)の爲に聞くことなく、日月の光り目くらのために見《み》る事《こと》なし。定《さだめ》て、十|羅刹女《らせつぢよ》は寄合《よりあひ》てうぶ水《みづ》(生湯《うぶゆ》)をなで養《やしな》ひたまふらん。あらめでたや、あらめでたや。御悦び推量申候
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次の年に、月滿御前《つきまろごぜん》に經王御前《きやうわうごぜん》といふ妹が出來たが、この時は、もはや佐渡へ遠く流されてゐた。
この日眼女が三十三の厄除《やくよ》けに釋尊の像を造立供養したので、それに關しては、
――厄《やく》といふは、たとへば骰子《さい》に廉《かど》があり、桝《ます》には角《すみ》があり、人《ひと》には關節《つぎふし》、方《はう》には四|維《すみ》のあるごとく、風《かぜ》は方《はう》より吹《ふ》けば弱く、角《すみ》よりふけば強く、病《やまひ》は内《うち》より起れば治《ち》しやすく、節《ふし》より起れば治《ち》しがたし。家《いへ》には垣なければ盜人《ぬすびと》入《い》り、人《ひと》には咎あれば、敵《てき》の便《べん》となる。厄《やく》といふのはそんなものだ。家《うち》に垣なく、人《ひと》に病があるやうなもので、守《まも》らせれば盜人もからめとるであらうし、關節の病も早く治せば命は長いであらう。
そも女人《をんな》は、一|代《だい》五千|卷《くわん》、七千餘卷のどの經《きやう》にも佛《ほとけ》になれないと厭《きら》はれてゐるが、法華經《ほけきやう》ばかりには女人《によにん》佛《ほとけ》になると説かれてゐる。日本國は女人《によにん》の國といふ國で、天照大神ともふす女神《によしん》の築《つ》きいだされた島《しま》である。この日本《につぽん》には、男は十九億九萬四千八百二十八|人《にん》、女は廿九億九萬四千八百三十|人《にん》の、この男女がみんな念佛者《ねんぶつしや》で、みんな阿彌陀佛《あみだぶつ》を本尊《ほんぞん》としてゐるから、現世《げんせ》の祈りもその如く、釋尊《しやくそん》の像をつくつたり、繪にしても、彌陀《みだ》の淨土《じやうど》へゆくためで釋尊《しやくそん》を本意《ほんい》としない。日眼女《にちがんによ》は今生《こんじやう》の祈りのやうだが、教主《けうしゆ》釋尊像《しやくそんざう》を造られたから後生成佛《ごしやうじやうぶつ》であらう。二十九億九萬四千八百三十人の女の中の第一の女人《によにん》であると思はれよ。
念佛まをせば極樂へ――處生苦《しよせいく》を諦《あき》らめて、念願は一日も早く彌陀《みだ》の淨土《じやうど》へ引き取つてもらひたいといふのが念佛衆《ねんぶつしゆ》であるなら、穢土厭離《ゑどおんり》、寂滅爲樂《じやくめつゐらく》の思想は現世否定である。筆者は佛教のことは、その絲口も知らないのだが、そんなふうにこの終りの方の文を解釋すると、前の方の關節《ふし》から起る不治の病も、早く治療すれば命は長いとの教へが適切に響いてくる。
これだけの拔き書きの中からすらも、女性を無知のものとして眼をつぶらせて、何事も耐忍《がまん》せよといふのでなく、よく生きよと教へられてゐるのがたふとい。
ある折の日眼女へは、
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――女人《によにん》は、たとへば藤のごとし、をとこは松のごとし、須臾《しゆゆ》もはなれぬれば立ちあがる事なし。はかばかしき下人《げにん》もなきに、かかる亂《みだ》れたる世に、此殿《このとの》をつかはされたる心《こゝろ》ざし、大地《たいち》よりもあつし、地神《ちじん》もさだめてしりぬらん。虚空《こくう》よりもたかし。
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といはれたのは、鎌倉が騷がしいのに、大概の女ならば、夫のそばを離れたがらないであらうし、夫を手許から離したく思はないであらうに、金吾殿をよくよこしてくれた、日蓮を思つてくれるは法華經を守つてくれるのだと述べられたのである。
建治二年三月、下總中山、富木入道《どきにふだう》の妻の尼御前には
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――矢《や》の走ることは弓の力、雲のゆくことは龍のちから、男のしわざは女の力なり。いま富木《どき》どの、これへおわたりある事、尼御前《あまごぜん》の御力なり、けぶりをみれば火をみる、あめをみれば龍《りう》をみる。男を見れば女を見る。今富木どのに見參《げざん》つかまつれば、尼《あま》ごぜんをみたてまつるとをばう。富木《どき》どのの御物《おんもの》がたり候は、このはわ(母)のなげきの中《なか》に、りんずう(臨終《りんじう》)のよくをはせしと、尼《あま》がよくあたり、かん病《びやう》せし事《こと》のうれしさ、いつの世《よ》にわするべしともおぼへずとよろこばれ候なり。何よりもおぼつかなきは[#「何よりもおぼつかなきは」に傍点]御所勞《ごしよらう》なり。かまへて、さもと、三年《みとせ》のはじめのごとくに、きうぢ(灸治《きうぢ》)させたまへ。病《やまひ》なき人も無常《むじやう》まぬかれがたし。但《たゞ》し、としのはてにあらず[#「としのはてにあらず」に傍点]法華經《ほけきやう》の行者《ぎやうじや》なり。非業の死[#「非業の死」に傍点]にはあるべからず。
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と諭《さと》されてゐる。これは富木常忍入道《どきじやうにんにふだう》が母の骨《こつ》をもつて、身延にゆき、日蓮上人に母死去のせつ妻の尼御前《あまごぜん》がよく世話したことや、妻が病氣がちだつた事をはなしたので書かれたものと見える。治《ぢ》する病ならば癒《なほ》して、よく[#「よく」に傍点]生きなければいけないといはれてゐるのだ。つぎの「衣食御書《いしよくごしよ》」ととなへられてゐるのを見れば一層その趣意がよくわかる。これもおなじ人ではないかもしれぬが、尼御前《あまごぜん》へ與へられたものだ。
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鵞目《てうもく》一|貫《くわん》給畢《たまひをはんぬ》。
それ食《じき》は、色《いろ》を増《ま》し、力《ちから》をつけ、命《いのち》を延《の》ぶ。衣《ころも》は、寒《さむ》さをふせぎ、暑《あつさ》を支《さ》え、恥《はぢ》をかくす。人にものを施《せ》する人は、人の色《いろ》をまし、力《ちから》をそへ、命《いのち》を續《つ》ぐなり。
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これだけの短かい手紙だが、よく讀むと、衣食の足らねばならぬことと、生命のたつとさを教へ、他人《ひと》も我もおなじく、衣食が足らなければならぬを悟らし、生きることを示された、短文ではあるが意味深い書簡で、布施《ふせ》とか、慈善とかいふことの本義が、ウンと一聲、活を入れられたやうに響く。今の世にも生きて響くたいした手紙ではないか。
[#地から2字上げ](平凡社「手紙講座」卷の三・昭和十年四月一日)
底本:「桃」中央公論社
1939(昭和14)年2月10日発行
初出:「手紙講座 卷の三」平凡社
1935(昭和10)年4月1日
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年12月7日作成
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