ごとし、須臾《しゆゆ》もはなれぬれば立ちあがる事なし。はかばかしき下人《げにん》もなきに、かかる亂《みだ》れたる世に、此殿《このとの》をつかはされたる心《こゝろ》ざし、大地《たいち》よりもあつし、地神《ちじん》もさだめてしりぬらん。虚空《こくう》よりもたかし。
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 といはれたのは、鎌倉が騷がしいのに、大概の女ならば、夫のそばを離れたがらないであらうし、夫を手許から離したく思はないであらうに、金吾殿をよくよこしてくれた、日蓮を思つてくれるは法華經を守つてくれるのだと述べられたのである。
 建治二年三月、下總中山、富木入道《どきにふだう》の妻の尼御前には

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――矢《や》の走ることは弓の力、雲のゆくことは龍のちから、男のしわざは女の力なり。いま富木《どき》どの、これへおわたりある事、尼御前《あまごぜん》の御力なり、けぶりをみれば火をみる、あめをみれば龍《りう》をみる。男を見れば女を見る。今富木どのに見參《げざん》つかまつれば、尼《あま》ごぜんをみたてまつるとをばう。富木《どき》どのの御物《おんもの》がたり候は、このはわ(母)のなげきの中《なか》に、りんずう(臨終《りんじう》)のよくをはせしと、尼《あま》がよくあたり、かん病《びやう》せし事《こと》のうれしさ、いつの世《よ》にわするべしともおぼへずとよろこばれ候なり。何よりもおぼつかなきは[#「何よりもおぼつかなきは」に傍点]御所勞《ごしよらう》なり。かまへて、さもと、三年《みとせ》のはじめのごとくに、きうぢ(灸治《きうぢ》)させたまへ。病《やまひ》なき人も無常《むじやう》まぬかれがたし。但《たゞ》し、としのはてにあらず[#「としのはてにあらず」に傍点]法華經《ほけきやう》の行者《ぎやうじや》なり。非業の死[#「非業の死」に傍点]にはあるべからず。
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 と諭《さと》されてゐる。これは富木常忍入道《どきじやうにんにふだう》が母の骨《こつ》をもつて、身延にゆき、日蓮上人に母死去のせつ妻の尼御前《あまごぜん》がよく世話したことや、妻が病氣がちだつた事をはなしたので書かれたものと見える。治《ぢ》する病ならば癒《なほ》して、よく[#「よく」に傍点]生きなければいけないといはれてゐるのだ。つぎの「衣食御書《いしよくごしよ》」ととなへられてゐるのを見れば一層その趣意がよくわかる。これもおなじ人ではないかもしれぬが、尼御前《あまごぜん》へ與へられたものだ。

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鵞目《てうもく》一|貫《くわん》給畢《たまひをはんぬ》。
それ食《じき》は、色《いろ》を増《ま》し、力《ちから》をつけ、命《いのち》を延《の》ぶ。衣《ころも》は、寒《さむ》さをふせぎ、暑《あつさ》を支《さ》え、恥《はぢ》をかくす。人にものを施《せ》する人は、人の色《いろ》をまし、力《ちから》をそへ、命《いのち》を續《つ》ぐなり。
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 これだけの短かい手紙だが、よく讀むと、衣食の足らねばならぬことと、生命のたつとさを教へ、他人《ひと》も我もおなじく、衣食が足らなければならぬを悟らし、生きることを示された、短文ではあるが意味深い書簡で、布施《ふせ》とか、慈善とかいふことの本義が、ウンと一聲、活を入れられたやうに響く。今の世にも生きて響くたいした手紙ではないか。
[#地から2字上げ](平凡社「手紙講座」卷の三・昭和十年四月一日)



底本:「桃」中央公論社
   1939(昭和14)年2月10日発行
初出:「手紙講座 卷の三」平凡社
   1935(昭和10)年4月1日
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年12月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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