佃のわたし
長谷川時雨
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)暗《やみ》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]
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暗《やみ》の夜更《よふけ》にひとりかへる渡《わた》し船《ぶね》、殘月《ざんげつ》のあしたに渡る夏の朝、雪の日、暴風雨《あらし》の日、風趣《おもむき》はあつてもはなしはない。平日《なみひ》の並のはなしのひとつふたつが、手帳のはしに殘つてゐる。
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一日のはげしい勞働につかれて、機械が吐くやうな、重つくるしい煙りが、石川島《いしかはじま》の工場の烟突から立昇つてゐる。佃《つくだ》から出た渡船《わたしぶね》には、職工《しよくこう》が多く乘つてゐる。築地の方《はう》から出たのには、佃島《つくだ》へかへる魚賣りが多い。よぼよぼしたお爺さんの蜆賣《しゞみう》りと、十二三の腕白が隣りあつて、笊と笊をならべ、天秤棒を組あはせてゐたが、お爺さんが小僧の、不正な桝を見つけたのがはじまりで、
こんな狡《こす》いことをしてゐる、よく花客《とくい》が知らずにゐるな、と言つた。
俺は山盛りに賣るからよ、爺《ぢい》さんはどうする、と小僧は面白さうにきいた。
俺か、俺は桝《これ》に一ぱいならして賣るのよ。
へん、客がよろこぶめい。賣れるか。
賣れねえ。
乘りあひの者は一時に笑つた、例《いつも》の通り船頭が口をだした。
小僧、三十錢から賣つたつて、家《うち》へは二十錢も、もつてけへるめい、なあよ。
それはいけねえ。家《うち》で母親《おふくろ》が當《あて》にしてゐるのだから、ちやんと持つてかへつて、二錢でも三錢でも氣《き》もちよくもらへ、と、おぢいさんは首をふつた。
十五錢もありや母親《おふくろ》は好いのよ。十錢買喰ひをしても、よけいに取れるから割が好いやな、と、も一人の船頭が言つた。
二錢ばかしの小遣なら、爺さんのやうに十錢も稼いでおかあ、なあよ。
違ひない、と皆はまた笑つた。小僧は笊に殘つてゐたすこしばかりの蜆《しゞみ》を、河の中へ底を叩いてあけてしまつた。お爺さんは掌に河水をすくつて、笊の底に乾ききつてゐる貝へかけてゐる。傍《はた》の若い者が調戲《からか》つて、
爺さんなよく毎日殘つてゐるな、もう腐つてゐるだらう。河の中へ歸《けへ》しておけよ、勿體《もつたい》ねえぢや困るぜ、と
鰯がはいつて來たな、と沖からはいつて來る漁船《ふね》を見て、一人が言つた。
兄《あに》い、寺は何處だい、御苦勞だな、と棹をいれながら、船頭が挨拶をした。
寺つて言へばよ、をかしいことがあるのよ、坊主なんて辛《ひど》いことをするぜ、尤も俺達も亂暴にや違ひないが、去年よ小石川の寺院《てら》でよ、初さんところの葬式の來るのが遲れたのでな、前《さき》へ行つてゐた者が、一盃《いつぺい》やり始めたのよ、すると誰かが外で、其處いらには珍《めづ》らしい新らしい鰯《の》を、見つけたといつて買つて來たのよ、買つてくる奴も奴ぢやねえか、一盃機嫌だから、御本堂も何もあるものか、よからうと言ふので燒出したのよ、すると和尚め、よい匂ひですな、なんてやつて來やがつて、旨い漬物を出してよ、よろしければおかはりをなさいましと來たのだ、どうです和尚《おしやう》さん御一緒《ごいつしよ》になつては、と言ふとな、結構ですと言やがるんだ、厭になつちまふぢやねえか、其處ですつかり仲間になつてやつてしまふとな、佛を持つて來たのだらう、すると皆《みんな》が妙だ。妙だ、變な匂ひがするつて、ヘツ、する筈だあな、線香で鰯の匂ひを消さうと思やがつて、和尚《おしやう》が燻《いぶ》したてるんだ、たまらねえ。
呆れてしまふな、何宗だい。
何宗だか、俺《おれ》ンの家《とこ》の寺ぢやねえもの知らねえや。
親鸞樣《しんらんさま》は矢ツ張り豪《えら》いな。
さうともよ、末世《まつせ》を見通しなされたのだ、あれほどのお方で妻帶をなすつたのは、御自分の豪《えら》いのを知つて、後《のち》の坊主どもが、とてもそんな堅つくるしくしてゐられめえと、わざと御自分がみんなの爲に、ああなすつたのだとよ、豪《えれ》いな、眼があるのだ、有難い話ぢやねえか。
あしたの紅顏《こうがん》夕《ゆふ》べに白骨《はつこつ》となる、ほんとだ、まつたくだ、南無阿彌陀佛と言ひたくならあな。
お前の家は何宗だつけな。
本願寺だ。
――當りますよ、大當り、と船頭は聲を張あげた。
雨の日に、年をとつた勞働者が二三人、寒さうに顫へながら、小さな聲でこんな咄《はな》しをしてゐた。
金華山て何處だらう。
さうさな、ありや美濃だらう。
さうか、そこいな、大きな鯨が出て、大砲の彈丸を三發もうけたが、とうとう船に四人《よつたり》乘せたまま呑んでしまつたとよ。
はなしだらう。
さうでないのだ、信實《まつたく》だとよ、新聞にあつたのだらう。
船と人が四人《よにん》? そんなに呑めるものかな。
呑めるんだらう、何しろ巨《でか》い鯨《もの》に違ひない。
でも美濃は山國だらう。
さうかな、ちつとをかしいな。
山國にしておけよ、俺の家の息《やつ》が、なんでも船乘りになつてゐるさうだ。
さうか、知らなかつた――ろくなことはないなあ。
好いことはきかせねいや。
伊豆通ひの※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《ふね》が、※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]笛《きてき》を低く呻吟《うな》らせて通り過ぎると、その餘波にゆられて、ゆらゆらしながら、
金華山は美濃だ、美濃はたしかに山國だ。
さうならお咄《はな》しだ。と言捨てて共に去つた。
明治四十年ぐらゐの京橋區佃島の住吉の渡しでの乘合衆である。
[#地から2字上げ](「女子文壇」増刊附録)
底本:「桃」中央公論社
1939(昭和14)年2月10日発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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終わり
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