で、あっぱれ紅葉館は時代に応じた、明るい華やかな、一種の交際場となったのだった。諸芸の取締り兼、酌のとりかたを教える師匠番によばれたのが、吉原《よしわら》の廓《くるわ》からおよしさん(現今は某氏夫人である)と、品川から常磐津のおしょさんのおやすさんの二人。
その当時は、廿四、五だった、色白の、すらりと身長の高い、薄菊石《うすあばた》のある、声の好い、粋なおやすさんが、もう六十五、六になって、須磨子さんの京舞を見ている。おしかさんも最早《もは》や古参株で、それらの老女の一、二人を除くと、動かせない中老どころだ。廿五年勤続の祝いも五、六年前に済んで、もうやがて五十路にも近かろう。
けれども、おしかさんもまだ水々した年増《としま》だ。四十を越したとは、思われない若やかさであったが、しかし、おしかさんと須磨子さんとの間には、十代の差があるように、その日の、光りの暗い襖《ふすま》のかげでは見えた。
玄関|脇《わき》の小砂利《こじゃり》の上には形《かた》ちのよい自動車が主人を送って来て控えている。その車の主こそ京舞の許しものを、昔のおしょさんの出京している間だけならいに通っている、芸ごと
前へ
次へ
全16ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング