成功のかげには、こうした苦心もあるとの教訓も、華やかにくらしてきた、須磨子さんには、苦しいものであったろう。

 ある人が、彼女の花の盛りから今日まで、親しく交わっての感慨に、彼女の美は衰えを知らぬのに、それにくらべて自分が男子として、碌々《ろくろく》と日を過して来たと嘆息して、
「七人の子をもてば大概の女の容色は萎《しぼ》むものなのに、あの人は頸《くび》にも、耳の下のあたりにさえ、衰えをも見せていない」
と言った。また、やはり昔から、久しく知っている人が、
「先日向うから自動車が来たので、ふと見ると、美しい人が乗っている。大橋令嬢かしらと思って近づくとお母さんだった。お嫁にゆくほどの年頃の娘さんと、ふと見違えたといっても、間ちがえるのが、決して無理ではない。」
といった。それはほんとに過褒《かほう》ではない。令嬢たちはみんな美しくて上品だが、母君の持つ美しさには、ただ上品ばかりでない洗練されたものがある。
 彼女の生立《おいた》ちは――それは、ほんのすこしばかりしか知らない。余計な穿鑿《せんさく》だては入らないことと、強《しい》て探出《さがしだ》そうとはしなかったが、慥《たしか》な説
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