らしく涙を含んでゐながら、飴湯のやうに甘く解けてしまはない、生娘が天下の寶のやうな氣がします。私が勝手に思ふのは、十七かの年に、お駕籠へ乘つてお振袖に胸をおさへて、江戸からはる/″\加賀の國の山々にかこまれたお城下へ住み移つたといふ美しい女の面影が、あやしい程先生の胸にこもつて、悲しい、さびしい、やる瀬ない思を嘆き訴へたのではなからうかと。
 その次に私は、先生の水色情緒に怪しいまでにひきつけられてゐました、水色情緒と私が自分勝手にいつてゐるその中でも、ことに玲瓏と水の上一尺ばかりに立つ曉の煙り――そんな風にもいつたらよからうか、ほの/″\とした紫雲――紫水晶を生む山の瑞氣といつたやうなものを持つ女性、惱みと憂悶に疲れて、香氣を吐く令室又は嫁女、その次は純水色の妖女、旅藝人、侠女、藝者……
 古い頃、鏑木清方さんが、鏡花先生の女性には紫でも淡紅でもない、水淺葱でなくつてはならない、が、どうも水淺葱が思ふやうな色に出ないのが氣になつて、とお話なさつたが、全く水淺葱が夏の曉の風のやうに、すつきりと濁りがなく出てゐるのは先生お作中の年増女です。
 女仙前記、きぬ/″\川、辰巳巷談、書きだした
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング