に慢ぜず、ことに女性を侮蔑せざる――そんなふうな人に生まれたし。[#地から2字上げ](「現代」昭和八年三月)

     お風呂場美術

 美女の湯上りの風趣を、古來から美人畫家は、おのおのの麗筆で、さまざまに眺めて描いてゐる。几帳《きちやう》のかげに、長い髮に香を※[#「火+(麈−鹿)」、第3水準1−87−40]《た》きしめさせてゐるのもある。鬢上《びんあ》げをしたまま煙草をくゆらしてゐるのもある。紺蛇の目の半開き、ぬか袋をくはへてゐるのもあれば、湯上《ゆあが》り浴衣《ゆかた》を抱へてゆくのもある。このごろあたしの書いた小説の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]繪にも、肩から衣《きぬ》のぬげおちようとしてゐるところ――これは湯上りといへないが――濛々《もう/\》たる湯氣の中に立つた姿もある。
 だが、繪に出來ないで、私の心にとまつてゐる風景は、白紙《かみ》を鼈甲の笄《かうがい》に捲いた、あの柳橋《やなぎばし》の初春の――白紙《かみ》を捲いた笄《かうがい》なんて、どうしたつて繪にはならない、そしてそれは柳橋《やなぎばし》にはかぎつてゐないが、かみゆひさんの手腕《うで》を見せた藝妓島田《げいこしまだ》が揃つて――三ヶ日過ぎると、恰好のいいつぶし島田にザングリ結つたのも交《まじ》つて、透き通るやうな笄《かうがい》を一本、グツと※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]したのが、クルクルと細紙《かみ》を捲きつけてくる。白紙《かみ》が湯氣に濕つて――したたれるやうな緑の黒髮に對し、あの、しんめりした感觸――
 しかし、今でもさうかどうか。家で※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]したんぢや笄《かうがい》の恰好が惡いし、髮の根がゆるむし。そこで、髮《かみ》を結《ゆ》ひあげるときに※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》して、笄《かうがい》を惜しまずやつたのであらうが、二三十年も前のことで、今日の錢湯風景を知らないから、なんともいへない。
 お風呂場美術――近《ちか》ごろは街頭から、すぐ、ぢかではないけれど、あの、戸を一枚ガラリとあけると、すぐそこが脱衣場《だついば》はいけない。下駄をぬぐところは別にしなければ、いくら本場の美術展覽會をとりし
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