も立派なので、食べるのも好まれたことと思ふ。だが鰹は足が早く、鯛ほどもたないので山國が首都の時代には貴人の口にはいらなかつたので、江戸が都會になつてから、やつと生きたものと見える。大阪は大都市で、早く難波の宮もあつたが、鯛が本場だから幅をきかせ――但し閑がなくて大阪の鰹のことを探さなかつたのではあるが――た。
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目に青葉山ほととぎす初松魚
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これは土佐でも住吉でも、自由にはめられる、五月《さつき》日本のいさぎよさだが、鎌倉といふところに鰹の意義がある。鰹は勝男に轉じ、釣上げた姿もピンと張つてゐる強い魚で、牛の角でなくては釣れないといふし、大擧して寄せてくるといふところなど、勝夫武士とこぢつけないでも、その味と堅實さが、禪に徹し、法華經にひたぶるだつた鎌倉武士氣質に似てゐる。
だが、蜀山人の狂歌の
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鎌倉の海より出し初鰹、みな武藏野のはらにこそ入れ
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となぜなつたのであらう?
思ふに鎌倉武士のあらましは關東武士であつた。江戸の氣風は徳川權現樣三河御譜代の持參だとばかりは言へない。武藏特有の
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