、キビキビした賣聲や、男性的颯爽たる諸條件がそろつて、初鰹は江戸の季節の一景物とまでなつたのだ。それゆゑ、金持ちが羨ましいこともあつたであらうが、利鞘をとつて衣食し、肥る商人を賤しめたのを、江戸の市井でうまれた「川柳」が、初鰹でもつてよく語つてゐる。
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初鰹女の料《れう》る魚でなし
初鰹旦那ははねがもげてから
初鰹煮て喰ふ氣では値がならず
初鰹得心づくでなやむなり
初鰹値をきいて買ふ物でなし
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「はねがもげてから」は飛ぶやうに賣れる勢のいいうち買はないといふことであり、「煮て喰ふ氣」はさしみにする品は高いからであり、「得心づくでなやむ」のは安かれ惡かれ、中毒《あた》るのを承知で買つた、といふ皮肉で、平日貧乏人と見下される側から、旦那側の、金持ち吝嗇をあざけつたものだ。
だが、裏長屋に住んで、袷をころしても、食ふといふにいたつては、初鰹の名に惚れすぎた結果で、早いとこをといふのが、早急になり、走りものずきになつた末期江戸人の病根で
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初の字が五百、鰹が五百なり
初鰹女房日なしへいつけてる
初鰹女房は質を請けたがり
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がよく諷してゐる。
私が、大正のはじめ京橋佃島にすんでゐたころでも、まだ押送り船が房州から、白帆をふくらませ、八丁櫓で波をきつて、鰹をつんではいつてきた。河竹默阿彌翁の「梅雨小袖昔八丈」の、髮結新三の長屋の場は、初鰹季節を描いて、その時分の初かつをのねだんまでが出てゐる。鰹賣が盤臺《ばんだい》の肩をかへながら、時鳥が鳴いた空をちよいと見上げるところがあるが、東京の空を、ほととぎすが啼いてすぎる夜があるといふと、てんから[#「てんから」に傍点]嘘だとあきれ顏をする人に、默阿彌さんは明治まで生きてゐた人で、本所にお住居ゆゑ、おききになつて景色にそへたのに違ひない、といふことをいつて、おしまひにする。
[#地から2字上げ](「三田新聞」昭和十年五月卅一日)
底本:「桃」中央公論社
1939(昭和14)年2月10日発行
初出:「三田新聞」
1935(昭和10)年5月31日
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年12月7日作成
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