町《よしちょう》の芸妓|米八《よねはち》には千歳米波《ちとせべいは》と名乗らせた時分だったか、もすこし後《あと》で、川上|貞奴《さだやっこ》を援助《たすけ》に出た時だかに、彼女にも守住の本姓に月華という名を与えたのだった。
 岩井|粂八《くめはち》といった時分の弟子には、紀久八《きくはち》たちがあるが、月華になってからは、かつらとか、名古屋の源氏節から来た女にも、華紅《かこう》とか、華代子とかいう名をつけた。新しい弟子の静枝も、学海|居士《こじ》が名づけたのだった。
 彼女は、好物な甘いもので、苦《にが》いお茶を飲んで、閑《しず》かな日が、気持ちよげだった。
「こんやは一ツ、静《しい》ちゃんに『舌出し三番』でも教えるか。」
といったが、古い日のことを思出したのであろう、お前の踊の師匠だった、おとねさんは、しどいよ、と言った。
 おとねさんという名をきくと、静枝は故郷の新潟《にいがた》の花柳界《さかりば》を思いだした。静枝の踊の師匠は、市川の名取りで、九代目団十郎の妹のお成《なる》さんという浅草|聖天町《しょうてんちょう》にいた人の弟子だった。
「そういえば、お師匠さんが新潟へお出《いで》になった時、あたしはまだ小《ち》っぽけでした。お揃《そろ》いの浴衣《ゆかた》を着て、川蒸気船の着く、万代《ばんだい》橋の川っぱたまで、お迎えに出ていましたっけ。」
「うん、そんなこともあったっけね。」
 九女八は凝《じっ》と、庭の鷺草を見つめた。
 新潟の花街《さかりば》で名うての、庄内屋の養女だった静枝までが、船着き場へ迎いに並んだほど、九女八の乗り込みは人気があったのだが、それも、会津屋《あいづや》おあいといった芸妓が、市川流の踊りの師匠で、市川とねと名のっていたから、同門の誼《よし》みで、華々しく迎えたのだった。
 土地の顔役で、江戸生れのお爺さん、江戸鮨《えどずし》の孫娘に生れた静枝は、直江津《なおえつ》までしか汽車のなかった時分の、偉い女役者が乗込んで来た日の幼かった自分の事も、あの、日本海の荒海から流れ込んでくる、万代橋の下の水の色とともに目にうかべ、思い出していた。
「出しものは道成寺《どうじょうじ》だ。勧進帳《かんじんちょう》を出したのは、興行師《ざかた》らから、断わりきれない頼みだったんだ。そのこたあ、おとねだって知ってたのに。」
 それがもとで、市川|升之丞《ます
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