次の間《ま》への襖《ふすま》も、丸窓の障子もみんな明けて来た。
「ええね、ええね、なんか嬉しい気がするぞ、今日は良《よ》う弾《ひ》けるかも知れんなあ。あれ、あんなに潮が高くなった。わしゃ、厳島《いつくしま》に行ってること思出しています。ホ!」
 また大きな体を、椽のさきまで運んでいった。
「ほう、ほう、見る間《ま》に、中洲《なかす》の葭《よし》がかくれた。あれ、庭の池で小禽《なに》か鳴いているわい。」
「翡翠《かわせみ》でしょう。」
 わたしは早く「橘媛《たちばなひめ》」が聴きたかった。
「まあ、すぐじゃ、すぐじゃ。」
 鼓村氏は閉口した時にする、頭の尖《さき》の方より、頸《くびすじ》の方が太いのを縮めて、それが、わざと押込みでもするかのように、広い額に手をあてながら座についた。外で演奏する時には、ゆったりした王朝式の服装と、被《かぶ》りものであるが、今日のように平服のときは、便々《べんべん》たる太鼓腹の下の方に、裾《すそ》の広がらない無地の木綿《もめん》のような袴をつけている。
 寛々《らくらく》と組んだ安坐の上に、私たちの稽古琴《けいこごと》を乗せて、ばらんと十三本の絃《いと》を解
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