主席にした卓《テーブル》へ帰って来たときの彼女は、実に生々《いきいき》して、はじめて見せる顔だった。まさに、この時分の彼女の爪音《つまおと》には、彼女の細い腕から出るものではない大きな、ふくみのある、深い、幅の広い音が出ていた。
「浜子は巧《うま》い。」
「浜子さんの箏は好《い》いなあ。」
 何処でも好い評判だ。
 菊五郎の、芝公園の家《うち》では、なんでも、しんみりと、浜子と宮城氏との合せものを聴きたいというので、ある夜、その会合があった。実際、あんな好い気持のものを聴く機会はそうあるものではない。と、今でも思出すほど、宮城氏の三絃と浜子の箏とが、流れる水のように、合し、むせび、本流となり、あるいは澱《よど》む深味へ風が過ぎてゆくようになったりする音色《ねいろ》は、曲が止んでも、弾いたものも聴くものも、消えてゆく、去りゆく音を追って、すぐ、果敢《はか》なくも思出となってしまう脆《もろ》さを、惜しむ思いにホロホロとする気持に浸っていた。
 朱絃舎《しゅげんしゃ》――そんな名を選んだのも、その時分のことだった。「朱絃」という名の定《き》まるまでには、どんなにさまざまの名がえらまれたか知れない。私の大形ブックの幾|頁《ページ》かも、古い詩句の中から、およそ、これはと眼にとまり、心にとまるものを抜きだして、書いておいたか知れないのだった。
 前にも書いたかも知れないが、彼女が、何処か『源氏物語』のなかの、明石《あかし》の上《うえ》に似ているので――気質もそうであれば、箏の名手でありながら、我から聴かそうとは決してしない。それに、容貌《きりょう》も立ちまさっているのではないが、人柄が立ちまさって見える点など、私は、彼女にそんな事をいったこともある。彼女もその評は、嬉しくないこともなかったのだ。そしてまた、彼女の趣味も、その精神《おおね》は、王朝時代のものであった。私は、もちっと古く遡《さかのぼ》って、もっとずっと、今日《こんにち》よりも新らしくと言うので、ともするとくいちがうのだが、「朱絃」は、ともかく納まった。彼女の門下はみな、朱絃――朱《あか》い絃《いと》の十三絃をもちいることにした。
 覚悟はよいか? そんなことばではないが、私は時おり、もはや、後退してはならないと、生活に余裕のありすぎる彼女に、回避的になりがちな用心癖を警戒した。が、それほど熾烈《しれつ》に、芸術的
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