と聞いていた人の名をいって見た。
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ゆきずりの、我小板橋《わがこいたばし》しら/\と、
一重《ひとえ》のうばら、いづくより流れかよりし、君まつと、ふみし夕べにいひ知らず、しみて匂ひき――
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と、私は口のうちで、石《いそ》の上《かみ》露子の詩をうたって見ていた。
 それを、大きな掌《てのひら》は、遠くからおさえるように動かされて、
「あれは美人じゃからなあ――石河《いしかわ》の夕千鳥には、彼女の趣味から来る風情《ふぜい》が添うが――わしが、今感心しておる女子《ひと》は、箏《こと》のこととなると、横浜から、箏を抱いてくる。小いさな体《からだ》をして。」
 ちいさな、というのに力を入れて、丁度|絃《いと》の締まった箏を、軽々《かるがる》と坐ったまま、ぐるりと筆規《ぶんまわし》のように振りかえた便次《ついで》に、抱《かか》えるようにして見せた。
「こんなようにしてじゃぞ。」
 私の顔は笑っていたに違いない。鼓村師は割合、細心なところもあるので、箏を振り廻したのを、乱暴したように笑っているのだとでも思いもしたように、豪放のような、照れたような笑いに、また首をちぢめてまぎらわした。
 水の清い、石川河の磧《かわら》に近く庵室《あんしつ》をしつらえさせて、昔物語の姫君のように、下げ髪に几帳《きちょう》を立て、そこに冥想《めいそう》し、読書するという富家《ふうか》の女《ひと》は、石の上露子とも石河の夕千鳥とも名乗って、一人静かに箏を掻《か》きならす上手《じょうず》の名があった。それからまた、横浜から箏を持って習《まな》びにゆくという女《ひと》にもわたしには心あたりがあるので、思わず破顔したのだった。
「共通なところがあるのでしょ。」
と私は言った。それは、たしかに、二女に共通したものがあるのだったが、鼓村師には解《げ》せなかった。安坐の上に乗せた箏に、柱《じ》をたてながら、
「その小《ち》いっこい女《ひと》は、几帳面《きちょうめん》で几帳面で、譜をとるのに、これっぽっちの間違いもない。ありゃどうしたことじゃろうかね。箏の音はまた、それとは違うて、渺々《びょうびょう》としておるので――真の、玉琴というのはああした音色《ねいろ》と、余韻とでなければ――」
 だが、その玉琴の名手が、なんとしたことか、正午というと、何処でもお弁当を食べだすと、
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