いた。
「山の手におると、乾《かわ》くような気がすると、八千代《やちよ》さんはいうているなあ。此家《ここ》へくると、ジュウっと、水が滲《し》みわたるようじゃというてたが、わしもそう思います。」
「岡田八千代《やちよ》さんは、水がすきで、御飯へもかけて食べますもの、夏は氷で冷たくしたのを。」
「や、そか?」
鼓村師の、大きな体と、ひろびろした頬《ほお》をもつ顔に似合わない、小いさな眼が、箏《こと》の上に顔ごとつきだされた。
「水は好《え》いもんじゃなあ、麹町《わし》の家《うち》の崖《がけ》に、山吹《やまぶき》が良《よ》う咲いているが、下に水があると好《え》えのじゃが――」
椽《えん》に栗山桶《くりやまおけ》がおいてあって、御簾《みす》のかかっている家《うち》の話に移っていった。
そういううちにも大きな掌《てのひら》は、むずと、十三本の絃《いと》をいちどきに握って、ギュンと音をさせて締めあげた。
それから一絃ずつ、右の片手の、親指と人差指に唾《つば》をつけては絃をくぐらせて、しっかり止める始末をしてゆくのだった。その扱いかたの見事さに、うっかり見とれていると、
「あの、何じゃね、話が先刻《さっき》飛んでしまったのじゃけど、妙な、不思議な女子《おなご》で――」
と、指を湿らせる合間《あいま》に、水をほめる前に、先刻話しかけたつづきを、思出したようにいうのだった。
「わしも、いろんな弟子《でし》をもったが、その女子《おなご》ほどの名手は、実際会ったことがないほどで、それが、こっちから訊《き》かなければ何も知らんふりをしているが、なんでも弾けるのでなあ、忘れてしまうと、わしのものを、わしが教えてもらうので――いや、ほんのこっちゃ。」
鼓村師は、自分の作曲したものでも、自分で忘れた部分は、爪音《つまおと》をとめて、絃《いと》の上に手を伏せたまま唄《うた》っていることがある。感興が横溢《おういつ》すれば、十三弦からはみ出してしまうほどの、無碍《むげ》の芸術境に遊ぶ人だった。
「では、河内《かわち》の国、富田林《とんだばやし》の、石《いそ》の上露子《かみつゆこ》さんとどっちが――」
かつて、雑誌『明星《みょうじょう》』の五人の女詩人、鳳晶子《おおとりあきこ》、山川登美子、玉野花子、茅野雅子《ちのまさこ》と並んで秀麗《うつく》しい女《ひと》であって、玉琴《たまごと》の名手
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