やしなかったろうが――え、なに、本?」
茶箱に何ばいかの書籍、それを担《かつ》がせて、意気揚々とおちび少女は帰っていったのだ。
「親馬鹿は感心したろうがにえ。」
鼓村さんは自分も感心したように言った。
「島田に結ってたころ、髭《ひげ》が今に生《は》えてくるでしょ、なんて、からかったけれど――そうそう、こんな話もありましたっけ、佐佐木|信綱《のぶつな》先生の所へいって、あたくしの友達の、こういう人を連れて来ますと言ったとき、その人ならば、思い違いをしたおかしい話があると、なんでも浜子さんが十五、六の時分ではなかったのでしょうか、錚々《そうそう》たる歌人たちを歌会を開いて招いたときの話で、佐佐木先生も招《よ》ばれていったが、どうも、その婦人は、年をとった偉い人なのだろうと出かけてゆくと、立派な家《うち》で、集まっている人たちも、浜子|刀自《とじ》とは、どんな人かとみんなが堅くなっていると、現われたのは、紫の振袖《ふりそで》を着て竪矢《たてや》の字に結んだ、小《ち》っこい小娘だったので、唖然《あぜん》としてしまったが、その態度は落ちつきはらっていたと――」
あははと、笑いだした鼓村さんは、突然、
「あれ、あれ。」
と、わたしに指差して教えた。家《うち》のものたちが、土手のはずれの方へいって、ワイワイ騒いでいるのだった。老父《ちち》も座敷の前の庭を横ぎっていった。
「どうしたのですか?」
鼓村さんは立っていって、挨拶《あいさつ》をしながら聴いた。
「いや、家鴨《あひる》が河へ出て、沖の方へゆくそうで――」
「やあ、じいやさんが船を出した。」
と、言いながら、鼓村さんは庭下駄をつッかけて、老父《ちち》のあとへ附いていった。
椽《えん》へ立って見ると、どうやら、河口へ出た家鴨《あひる》を、通りがかりの小舟が、網を投げかけたので、驚ろいて橋の下を越して、沖へ出ていったものらしかった。
白い大きな鳥が、青い潮にういているのがくっきりと見えている。対岸の商船学校から、オールを揃《そろ》えて短艇《ボート》を漕《こ》ぎ出してくるのが、家鴨とは反対に隅田川《すみだがわ》の上流の方へむかって辷《すべ》るように行く。ベカ舟《ぶね》に乗って、コイコイコイコイと、家鴨を呼んでいるじいやに、土手の上で、危いから帰って来いと呼んでいるのを、橋の上の人が、大声で伝えているものも見える。
庭
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