[#「けじめ」に傍点]がはっきりついて、卑近な無理解など、どうでもよいとの決心がついていたにちがいない。なぜなら、その人がいったようなただ、あざ[#「あざ」に傍点]けた女《ひと》に、こんな心の声があろうか、
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さくら花散りちるなかにたたずめばわが執着のみにくさはしも
ちりぢりにわがおもひ出も降りそそぐひまなく花のちる日なりけり
さくら花散りにちるかな思ひ出もいや積みまさる大谷《おおたに》の山
まぼろしやかの清滝《きよたき》に手をひたし夏をたのしむふるさとの人
やうやくに書きおへし文いま入れてかへる夜道のこころかなしも
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 これはみんな、世にない人を思い出した歌ではない。ふるさとの人とは、誰をさしていったものだろう、そんなことは言っては悪いと叱られるかもしれない。だが、それだからこそ人間ではないか、それだからわたしは武子さんが悲しく、そして忘れないのだ。ただ、わたしはいう、あの豪気な、大きい心の人が、なぜその苦しみとひたむきに戦わなかったか、この人間の苦しみこそ、宗祖|親鸞《しんらん》も戦って戦いぬいて、苦悩の中に救いを見出《みいだ》し大成したのではなかろうか、良致氏が外国で家庭生活をもっていたことが、かえって武子さんを小乗的《しょうじょうてき》にしてしまったのかもしれない、仏教のことばなんかつかっておかしいが、そんなふうにもおもえる。さし詰《せま》った苦しさというものは、勇気を与えるが、それも長く忍んでいると詠歎的になってしまうものだ。
『白孔雀』の巻末に、柳原|白蓮《びゃくれん》さんが書いているから、すこし引いて見よう、
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百人《ももたり》のわれにそしりの火はふるもひとりの人の涙にぞ足《た》る
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第一この歌に私はもう涙ぐんでしまった。あのたあ様は本当に深い深い胸の底に涙の壺を抱いていた人だった。
私が今の生活に馴《な》れるまでの間を、たあ様はどんなに励まし、かつ慰めてくれたことであったろう、「貴女《あなた》は幸福よ。」この一言によって私は考えさせられた。人というものはどうかすると自分の幸福を忘れている事がある。幸福だという事を忘れれば幸福にはぐれてしまう、という事を教えられた。私は何といってあの方に感謝していいかわからない。人こそ知らね私には深い思いがあるからである。
[#こ
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