と、
「よろしいように」
と静かに答えるだけだったという。
印度では光瑞《こうずい》法主一行の、随行員も多く賑《にぎ》わしくなった。少女時代をとりかえしたように武子さんが振舞うと、明るい笑声のうちに、いつも姿を見せないのが良致氏であったという。籌子夫人が気にすると、船室にかくれて読書しているという。一方が明るくなると、一方はだんだん寡黙になる。
船室でお茶がすんで、ボーイが小さなテーブルの上をかたづけにくると、武子さんは立上る、
「では失礼します。」
「どうぞ。」
水の如き夫妻だ。
武子さんも気にせず、良人もそれに不満足を感じるような、世俗的なのではないと、山中氏はいっていられるが、しかし、わたしははっきり言う。それはどっちかが軽蔑《けいべつ》しているのだ。どっちかがすく[#「すく」に傍点]んでいるのだ、でなければもっと、重大な、何か、ふたりは、表向きだけの夫婦ごっこ、互に傀儡《かいらい》になったことを知りすぎているのだ。性格的相違だけには片づけられないものがある。そして、短かい外遊期間中なのに、良致男は別居してしまった。だが、武子さんは社会事業の視察、見学をおこたらなかった。
シベリア線で、籌子夫人して武子さんが帰朝ときまったとき、訣別《けつべつ》の宴につらなった良致氏は、黙々として静かにホークを取っただけで、食後の話もなく、翌日、出立《しゅったつ》のおりもプラットホームに石の如く立って、
「ごきげんよう」
と、別れの言葉は、この一言だけだとある。
良致さんという人が、この通り沈黙寡言な、哲学者かと思っていたらば、先日、ごく心やすくしていたという男の人が来て話すには、なかなか隅《すみ》におけない、白粉《おしろい》を袖《そで》や胸にもつけてくる人だというし、またある人も、気さくなよいサラリーマンだといった。新婚のころは、特別に、そんなムッとした人にならざるを得ぬことがあったものとおもえる。世間からは花の嫁御《よめご》をもらって、日本一の果報男《かほうおとこ》といわれたが、他人ではわからないものが、その人にとってないとはいえまい。
また、それでなければ、新婚三月の新夫人をかえしてしまって、滞欧十年、子までなさせて、そこの水に親しんではいられないはずだ。
三年たった。ここいらから武子さんが、麗《うる》わしい武子だけでなく、同情と、人気とその人のもつ才
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